トップ | 研究室 | 授業 | 学会 | 懐徳堂 | 古典のことば | 電子テキスト | 研究情報 | 蔵書 | リンク | ご意見 | サイトナビ

 

■ 「懐徳堂関係資料」解説

 
 
 阪大中哲HP懐徳堂と中国古典の世界→「懐徳堂 関係資料」解説

  • 本解説は、懐徳堂研究に関係する諸資料を平易に解説したものである。
  • この資料は、全学共通教育科目「中国哲学基礎」(湯浅邦弘教授)の参考資料として作成中のものであり、授業の展開に併せて逐次追加していく。
1.懐徳堂関係全般

 『懐徳堂事典
  (湯浅邦弘編著、大阪大学出版会、全272頁、2001年12月、2800円)

 『懐徳堂─浪華の学問所─』
  (懐徳堂友の会・(財)懐徳堂記念会編、大阪大学出版会、1998年、全85頁、2060円)

享保9(1724)年大坂船場に開学し、大阪大学文系諸学部の源流となっている懐徳堂の全容を紹介する図録。約100枚の写真・図版を詳しく解説しながら、懐徳堂の歴史、学問、人、諸活動を明らかにする。全体は、「近世日本と懐徳堂−総説」「懐徳堂の成立」「学問所「懐徳堂」」「学問所「懐徳堂」の終焉」「懐徳堂の思想と近代」「懐徳堂の遺跡と遺物」の6部からなる。大阪大学懐徳堂文庫の資料を中心とする貴重な写真・図版等を見ていくことにより、自ずから懐徳堂の歩みを理解できる仕組みとなっている。また、江戸時代の懐徳堂の精神を現代に継承する懐徳堂友の会、記念会の諸活動についても紹介している。本目録掲載の写真・図版の内、主なものについては、大阪大学附属図書館のホームページ「電子展示」のコーナーに画像として提供されている。

 『懐徳堂─近世大阪の学校─』
  (大阪市立博物館第103回特別展図録、大阪市立博物館編集・発行、1986年、全76頁)

 昭和61(1986)年3月11日〜4月17日に大阪市立博物館で開催された特別展(主催=大阪市立博物館・(財)懐徳堂記念会・懐徳堂友の会、後援=大阪大学)の図録。全体を「懐徳堂(創設期)の概説」「懐徳堂(中期)の概説」「懐徳堂(後期)概説」の3部に分け、約200点の資料を掲載する。懐徳堂が大坂船場の5人の町人同士によって創設され、その後まもなく幕府の官許を得て大坂学問所となってからも、大坂町人の手によって運営されてきたことを重視し、特に、大阪の文化と懐徳堂との関わりを明らかにしようとしている点に特色が見られる。

 『龍野と懐徳堂』
  (龍野市立歴史文化資料館特別展「龍野と懐徳堂─学問交流と藩政─」図録、
   龍野市立歴史文化資料館編集・発行、2000年、全90頁)

平成12年3月11日〜4月16日に龍野市歴史文化資料館で開催された特別展(主催=龍野市教育委員会、共催=(財)懐徳堂記念会・大阪大学大学院文学研究科・文学部)の図録。懐徳堂の創立と発展に貢献した中井家は、龍野藩出身であり、懐徳堂と龍野との文化的交流は非常に深いものがあった。この図録では、中井家と龍野の人々のつながりや、その影響について、「大坂学問所懐徳堂」「龍野の人々と中井家」および関係論考の3部構成で明らかにする。

 『懐徳堂とその人びと』
  (脇田修・岸田知子著、大阪大学出版会、1997年、1500円、全154頁)

懐徳堂の創建から現代に至るまでの歴史を、懐徳堂に関わった主要人物を通して解説した書。全体は、「懐徳堂の創建」「懐徳堂の人びと」「町人学者」「懐徳堂の展開とその終焉」「近代での復興」の5章から成る。取り上げられる人物は、懐徳堂の創設に関わった大坂船場の5人の豪商(いわゆる五同志)を初め、初代学主三宅石庵みやけせきあん、享保11(1726)年の幕府官許に奔走した二代目学主中井甃庵なかいしゅうあん、『非物篇』で荻生徂徠を厳しく批判した五井蘭洲ごいらんしゅう、懐徳堂の黄金期を築いた中井竹山なかいちくざん履軒りけんの兄弟、大坂の天才と称された富永仲基とみながなかもと、『夢ノ代』で知られる山片蟠桃やまがたばんとうなどである。単なる歴史年表的な概説ではなく、懐徳堂を支えた人々の息吹が伝わってくるような記述となっており、また、大阪大学と懐徳堂との関係など、現代の活動についても紹介されていて、懐徳堂を身近に感じることができる。

 『懐徳堂考』
  (西村天囚にしむらてんしゅう著、明治44(1911)年、非売品、全193(上62・下131)頁、
   復刻版、懐徳堂友の会、昭和59(1984)年、4500円・会員3600円)

西村天囚(時彦ときつね)による懐徳堂研究の書。明治43(1910)年、西村天囚(朝日新聞記者、のち京大教授)は、懐徳堂記念会を創設し、大阪朝日新聞に「懐徳堂研究其の一」を連載して、その顕彰に努めた。本書はこの連載を基に、明治43(1910)年3月に『懐徳堂考上巻』として35部、明治44(1911)年に『懐徳堂考下巻』として75部刊行され同志に配布されたものである。その後、大正14(1925)年に、懐徳堂記念会より重印され、また、昭和59(1984)年、懐徳堂友の会より、初印本の復刻がなされた。その内容は、三宅石庵みやけせきあん五井蘭洲ごいらんしゅうから並河寒泉なみかわかんせんに至る懐徳堂140余年の歴史を通覧したものであり、今日においても、懐徳堂研究の最も基本的な文献としての価値を持つ。上巻は、懐徳堂の創建された当時の、大坂の学問的背景の説明(序説)、五井持軒ごいじけん(五井蘭州の父)から三宅春楼までの主要人物、および懐徳堂の同志について解説する。下巻は、上巻の概要、中井竹山なかいちくざん中井履軒なかいりけんの解説に始まって、並河寒泉、懐徳堂の廃絶までを述べる。また、復刻版には、『懐徳堂考』を重印する際に加えられた、懐徳堂教授松山直蔵の序文及び口絵写真23葉、更に人名索引を付載した『懐徳堂考付録』(別冊、全50頁)が付けられた。


電子懐徳堂考 CD-ROM

 『懐徳堂文庫図書目録』
  (大阪大学文学部編集・発行、1976年)

大阪大学所蔵懐徳堂文庫図書の目録。全体は、「漢籍の部」「国書の部」から成る。「漢籍の部」は、伝統的な四部分類(経部、史部、子部、集部)に叢書部・新学部を加えた六部からなり、さらに各々の内部が『京都大学人文科学研究所漢籍目録』に準じて細分されている(漢籍分類の歴史については「漢籍目録の歴史」参照。また、その内訳の解説については「漢籍分類解説」参照)。「国書の部」は日本十進分類法により、細目内の配列は五十音順とする。両部とも、各書籍については、撰者、刊年、刊行者などの書誌情報を簡明に注記する。また各々の末尾に書名索引を付す。

本目録に収載されるのは、

  1. 懐徳堂記念会蒐集図書等(旧懐徳堂先賢著述・蔵書・関係子記録、重建懐徳堂期の蒐集に係る研究用漢籍・和刻本・朝鮮本など約36,000冊)
  2. 新田文庫・中井家文書(懐徳堂最後の学問所預人中井桐園の孫・新田和子氏所蔵和漢書・掛け軸・器物類約560点)
  3. 並河寒泉文庫(懐徳堂最後の学主並河寒泉の著述および旧蔵書155点)
  4. 北山文庫(重建懐徳堂最後の教授吉田鋭雄[号は北山]氏旧蔵漢籍約4,400冊)
  5. 木間瀬文庫(懐徳堂記念会元理事木間瀬策三氏旧蔵書幅56点)
  6. 岡田文庫(岡田伊左衛門氏旧蔵詩文関係和漢書約6,000冊)
  7. 逆瀬文庫(逆瀬家旧蔵書幅・短冊・扇面52点)
  8. 吉永文庫(経済法科大学教授吉永孝雄氏旧蔵巻子・帖など90点、近世文人・幕末維新の著名人の書簡など約400通)
  9. その他(懐徳堂友の会蒐集品若干点)

など約5万点である。

江戸時代の旧懐徳堂が蔵していた書籍は、明治2年(1969)の閉校によって一旦散逸したが、明治末から大正初年にかけて、西村天囚の奔走によって懐徳堂記念会が設立され、懐徳堂が重建された際、再び蒐集・復刊された。その後、昭和20年(1945)大阪大空襲の際、懐徳堂の建物は焼失したが、書庫に収められていた文献は奇跡的に戦災を免れた。戦後、大阪大学に文学部が創設された際、それらは懐徳堂記念会から一括して阪大に寄贈され、附属図書館に収蔵された。その後も、懐徳堂記念会の資料蒐集活動や関係者からの寄贈などにより、点数を加えながら現在に至っている。

懐徳堂関係資料は、国立国会図書館大阪府立中之島図書館、大阪市立博物館などに散在する他は、全て大阪大学附属図書館に保管されており、我が国屈指のコレクションとして知られている。本目録は、その全貌を概観できる貴重な資料であるが、若干の誤脱の修正と、刊行後に新たに蒐集された遺物についての補遺作成、資料のデータベース化・電子化などが現下の課題になっている。

懐徳堂文庫電子図書目録

 『懐徳』
  ((財)懐徳堂記念会編、大正13(1924)年創刊、最新号は第67号(全124頁)、非売品)

懐徳堂記念会が発行する機関誌。「懐徳堂記念会(年会費3000円)」の会員に送付される。年一回刊。懐徳堂関係を主とした漢文学、および日本文学全般に関する学術論文、随想など数本のほか、懐徳堂記念会が主催する「懐徳堂講座」の講演要旨や、「資料報告」、「懐徳堂関係研究文献提要」などから成り、懐徳堂関係論著や記念会の足跡についての貴重な資料集となっている。第55号に第50号までの総目次が掲載されている。

 『懐徳堂文庫復刻叢書』
  (大阪大学懐徳堂文庫復刊刊行会監修、懐徳堂友の会発行、吉川弘文館、1988年〜、各冊5000〜15000円)

大阪大学懐徳堂文庫が所蔵する懐徳堂の名著を影印復刻したシリーズ。懐徳堂関係資料の中でもとりわけ貴重な名著について、各々全文を写真撮影して掲載し、さらに巻末に詳細な解題を付す。懐徳堂資料は大阪大学附属図書館の貴重書コーナーに所蔵されており、その公開を望む声が高かった。本シリーズはそれに応えるもの。これまでに刊行された書は次の通りである。

  • 『非徴』(懐徳堂第4代学主中井竹山による荻生徂徠『論語徴』反駁の書)
  • 『非物篇』(五井蘭洲著、中井竹山校訂。徂徠批判の先駆的著作)
  • 『華胥国物語』(懐徳堂学派を代表する経学家中井履軒の経世論と科学書を網羅。宇宙図・人体解剖図をカラーで収録)
  • 『史記雕題』(上・中・下3冊、中井履軒が和刻本『増補史記評林』の欄外に注釈を書き入れた『史記』研究書)
  • 『中庸雕題』(懐徳堂学派の創見である「中庸錯簡説」に基づいて、中井履軒が独自の『中庸』テキストを作成し、注釈を加えたもの)
  • 『詩雕題』(『詩経』に中井履軒が注釈をほどこしたもの。篇次を改定し、朱子学的『詩経』解釈を批判している)
  • 『論語雕題』(懐徳堂経学の達成点を示す履軒の『論語』解釈。荻生徂徠とは異なる方向からの朱子学批判を示す)
  • 『周易雕題』(和刻本『周易本義』の欄外に履軒が精密な注釈を書き入れたもの)
  • 『荘子雕題』(『荘子』の異端性を肯定的に評価し、江戸期の老荘学史上に独自の位置を占める)
  • 『孟子雕題』(中井履軒が『孟子』について、朱子学本来の性善説理解と異なる解釈を示しており、伊藤仁斎の所説を批判的に継承したもの)

『懐徳堂 18世紀日本の「徳」の諸相』
  (テツオ・ナジタ著、子安宣邦訳、岩波書店、1992年、4000円、538頁)

シカゴ学派を代表する歴史家テツオ・ナジタのVisions of virtue in Tokugawa Japan : the Kaitokudo, merchant academy of Osaka の邦訳。18世紀の大坂に商人たちが築いたアカデミー「懐徳堂」、近世日本の経済の中心地・大坂は、どのようなイデオロギーを形成したかを説く。言説とイデオロギーの社会史。

2.三宅石庵・五井蘭州・中井甃庵・竹山・履軒関係書
 『萬年先生論孟首章講義』

懐徳堂が幕府から官許を得た享保11(1726)年、それを祝う記念講演会が催された。本書は、学主の三宅石庵みやけせきあん(号は萬年)が行った講演の筆記録。筆者は未詳。題名は、『論語』『孟子』各々の冒頭の一章について講じたことによる。「官許学問所懐徳堂講義 享保十一年丙午冬十月五日癸亥 萬年三宅先生講」と題し、「論語」や「孟子」の題名、各首章の意味、各々の字義などについて、噛んで含めるように解説していく。末尾には、「浪華学問所懐徳堂開講會徒」として当日の講演を聴講した78人の名前が列挙されており、その中に五井藤九郎(蘭洲)、富永善右衛門(芳春)らの名が見える。明治44(1911)年、懐徳堂記念会より刊行された『懐徳堂五種』の中に翻刻されている。

その冒頭部分は、以下の通り。内容の詳細は「懐徳堂の講義」参照。

論語 論語ト云フハ孔子ノ論シ玉フ御辞ヲ、弟子タチカラ又ソノ弟子ヘ云ヒ傳ヘ書キツタヘ、此書ニナルヲ論語ト名付

學而第一 学而ト云フハ発端ニ學而トアル語ヲ取リテ篇ノ名トセル也、古ハ竹ノ簡ニモノヲ書キツケホリタテテ、ナメシ革ニテアミテヲキタル故ニ、コトノ外カサダカナル故ニ、コノ書モ十巻廿篇ニシタルナリ。扨学ト云ヘルハ、何ヲ学ブモノゾ、道ヲ学ブコト也、何ヲカ道ト云フ、人ノ道也、人ニアラザレバ各別、人ト生レタルモノハ、人ノ道ヲ学ハ子バナラヌ也、鳥獣ナレバソノトホリ、人ナレバ人ノ道ヲ学ブハヅ也、故ニ道ト云フハ人ノ道、学トハソレヲ学ブコト也、コノ道ヲ分テ云ヘハ、君臣父子夫婦兄弟朋友ノ五ツノモノガ各道ニカナフヨリ別ノコトハナヒゾ、畢竟君ハ君タリ、臣ハ臣タリ、父ハ父タリ、子ハ子タリ、夫ハ夫タリ、婦は婦タリ、兄弟朋友ハ兄弟朋友タルガ、人ノ道也、ソレデ人ト云ハルルナリ、シカルニ気質ノ偏ガ有ツタリ、耳目ノ欲ガアリテ、フト我ガ生レツキテヲル道ヲトリ失フナリ、ソレヲ失ナハズ、生レノママナルガ聖人也、学トハソレヲマナブ也

 『五孝子伝』

中井甃庵なかいしゅうあん(名は誠之、通称は忠蔵、竹山・履軒の父、懐徳堂二代目学主)の著。甃庵が実際の事件をもとに記した孝子伝であり、「元文己未のとし(元文四年[1739])三月廿三日 誠之しるす」とある。原本は、大阪府立中之島図書館所蔵。明治44年(1911)に『懐徳堂五種』の一つとして懐徳堂記念会から復刊されている。

死刑を宣告された父とその身代わりを申し出た五人のこどもたち。本書はその事件の顛末を記録し、子どもたちの「孝」を顕彰する内容で、以後の懐徳堂、および大坂町奉行による孝子顕彰運動の先駆と位置づけられる。内容の詳細については、「懐徳堂の精神」参照。

 『非物篇』

二代目学主の中井甃庵とともに、初期懐徳堂を支えた五井蘭洲ごいらんしゅう(元禄10年[1697]〜宝暦12年[1762])の著。内容は、荻生徂徠(1666〜1728)を激烈に批判するもの。荻生徂徠は柳沢吉保に仕え、将軍綱吉にも講義を行った江戸の高名な儒者である。その学問は、古文辞学こぶんじがくとよばれ、観念的な朱子学を排し、孔子の思想を古典の古訓の解釈から得ようとするもので、旧来の朱子学や、伊藤仁斎いとうじんさい古義学こぎがく派と対立するものであった。著書に『弁道』『弁名』『論語徴』などがあるが、特に『論語徴』は、中国の清でも紹介された。

この徂徠に対して、五井蘭洲は、その基本的な人間性や学問方法にまで言及しつつ、厳しく批判を加えた。「物」とは、徂徠のことを指す。徂徠が物部氏の流れを汲む者として中国風に「物茂卿」と称していたことによる。「非物」とは、その「物」氏(徂徠)を「非」難するという意味である。本書は、後に中井竹山によって校訂・浄書され、竹山の『非徴』とともに、天明四年(1784)に懐徳堂蔵版で刊行された。内容の詳細については、「懐徳堂の精神」の「2.批判」参照。

なお、本書は、1989年に懐徳堂友の会から懐徳堂文庫復刻叢書2(監修: 大阪大学懐徳堂文庫復刻刊行会、発売: 吉川弘文館)として復刻刊行された。

 『非徴』

中井竹山なかいちくざん(享保15年[1730]〜享和年[1804]、懐徳堂四代目学主)の著。竹山は、二代目学者中井甃庵なかいしゅうあんの長男で名は積善。後に弟の履軒りけんとともに懐徳堂の黄金期を築いた。本書は、朱子学の立場から荻生徂徠の『論語徴』を論駁するもので、五井蘭洲の『非物篇』とともに、天明四年(1784)に懐徳堂蔵版で刊行された。『非物篇』『非徴』には、権威に屈することのない強烈な批判精神が見られる。また、これは両書のみに突出した現象ではなく、竹山の弟の中井履軒にも、また、それに続く学者たちにも貫かれた、懐徳堂の基本精神であった。内容の詳細については、「懐徳堂の精神」の「2.批判」参照。

なお、本書は、1988年に懐徳堂友の会から懐徳堂文庫復刻叢書1(監修: 大阪大学懐徳堂文庫復刻刊行会、発売: 吉川弘文館)として復刻刊行された。

 

『蒙養篇』

中井竹山(懐徳堂四代目学主)の著。年少者向けに分かりやすく人の道を箇条書きにした書である。全53条。原本は大阪大学懐徳堂文庫所蔵。明治44年(1911)に、懐徳堂記念会から『懐徳堂五種』の一つとして復刊されている。

読者対象は、主として年少者であるため、そこに説かれる倫理は、家庭内の倫理、学習の心得などが中心であり、特に、中井甃庵の「五孝子伝」にも示された「孝」の精神を説く条が多数を占めている(以下、数字は条数)。

例えば、「孝」については、

  1. 「父母に善く事ふるを孝といひ、長上に善く事ふるを悌と名付け申候」
  2. 「孝弟の二字は、昼夜御心掛候て、一生御失念之有るべからず候」
  3. 「親に事ふるは、手足の働第一たるべし。恩愛を恃みて怠り易し。能々心を用いらるべく候」
  4. 「一事を行ふにも、親の心に叶はざるかを能々考うべし。僅の事も一分に任す事、必ず之有るべからず候」

「学問」については、

  1. 「人は八歳より学に入るを定法として、夫より年月を追て、人の人たる道を習ひ覚ゆる事にて候」
  2. 「一生学問をして小人となる人多し。無用の骨折と云ふべく候」
  3. 「不学にてもよき人あり、其の人博学なれば愈よく候」
  4. 「博学にてもあしき人あり、其の人文盲なればやはりあしく候」

「商業活動」については、

  1. 「商人の利は士の知行、農の作〓なり。皆義にて利に非らず候。只非分の高利を貪るを以て利欲とす。是は姦曲に落て義に背き候」
  2. 「町家は、利欲を肝要と心得候は、大なる誤りにて候」

などが注目される。内容の詳細については、「懐徳堂の精神」参照。

 

 

 

 『竹山国字牘』

中井竹山が知人や門人から問われた学問・政治・経済など種々の問題について答えた手紙を集めたもの。懐徳堂関係の公式記録類からは伺い知ることの出来ない具体的な情報や、学問・政治・経済などに対する竹山の率直な意見が記されており、懐徳堂の全体像を知るための貴重な資料である。

例えば、読書について、竹山は次のように述べる(「答藤江生」)。いったい学問とはどのように心得るべきでありましょうか。読書は、まず広く様々な書を読んだ上で、六経(儒家の経典)の研究にすすむべきであり、そうでなくては固執頑迷に陥るのではないか、と承りました。しかし、それは逆であり、経書の研究を主として、その余力に他の書を広く読むべきであります。

このように竹山は、目的の定まらない読書(乱読)を戒め、初めから経書を何度も繰り返し熟読することを説いている。したがって、単なる「博学」を竹山は評価しない。世に博学を心懸ける人は、たいてい「雑学」になって役に立たない。肝心なのは、四書五経の内のどれでもよいから、一部ずつ自らの務めとして毎日読み、読み終えたらまた繰り返して読むことだ、と経書の熟読・精読を勧めている。

なお、本書の原本は、大阪大学懐徳堂文庫蔵であるが、竹山自筆の部分と他者が写した部分とが混在している。全84篇。内11篇を欠く。明治44年、『懐徳堂遺書』の一つとして復刊された。

 聖賢扇

中井履軒が扇面の表に歴代の聖賢や学者の名を朱筆し、裏面にはこれらの人々を酒にたとえて面白く評を加えたもの。原本は失われて存しない。文政3年(1820)に履軒の子柚園ゆうえんが写したものが残されている。内容は、孔子孟子の正統儒学を「伊丹極上御膳酒」として絶讃する一方、漢代以降の儒者、宋代・明代の儒者については徐々に評価が厳しくなり、また、儒家以外の老荘や仏教、神道、禅宗などには手厳しい評価が下され、さらに、荻生徂徠と太宰春台は「鬼ころし」と酷評されている。

以下に表と裏とを対照しつつ履軒の評を記す。なお、( )内は細書。漢字を現行字体にし、送りがなを加えるなど、表現の一部を改めた。

  • 孔孟(孔子と孟子)……伊丹極上御善酒(賞賛に詞なし)
  • 漢以来の俗学……諸国の酒(上酒もあり粗酒もあり、処により時によりて様々差別あり、但よきというには限りあり、あしきは限りなし)
  • 老荘……薩摩あわもり(たまたまに一盞の賞玩、但酒宴に出されぬ)
  • 釈(仏教)……チンタ(夷狄人はうまがるげな)
  • 道家……薬保命酒(名目は結構なれど取りあぐる人なし)
  • 神道……濁醪(古代はこれにて事すみたるか)
  • 禅……焼酎(暑中或いは積気おさえに一杯はよき事もあるべし。畢竟は毒と心得たるがよからん)
  • 程朱(北宋の程明道・程伊川と南宋の朱熹)……伊丹並諸白(どちからみても江戸づみづみ、但並酒の古道具を用いて造られたる故、すこしのうつり臭あり。又実が漓うて足がよわい。ここが御膳酒におよばぬ所)
  • 明諸儒(明代の儒者)……火入酒(損じたる酒をなおすが手段。但酢き味はなおりたるようなれど灰の気が鼻をつく。さらは酒はなおりたるやあらずや)
  • 陽明(明の王陽明)……贋伊丹酒(急度伊丹極上御膳酒と印はあれど、実は並酒に焼酎を合わせたるものと見えたり。やはりビイドロの猪口にてまいるべし。間してはいけまい)
  • 仁斎(伊藤仁斎)……新酒(下戸がすく)
  • 徂徠春台(荻生徂徠と太宰春台)……鬼ころし(あらき計にて酒ともおもほらず)

なお、扇面の記載は、『懐徳』第17号(昭和14年)付録の吉田鋭雄録「懐徳堂水哉館遺書遺物目録」に翻刻されている。

トップ | 研究室 | 授業 | 学会 | 懐徳堂 | 古典のことば | 電子テキスト | 研究情報 | 蔵書 | リンク | ご意見 | サイトナビ