上博楚簡紹介
上博楚簡紹介 戦国楚簡研究会
◆資料の概要
一九九四年、上海博物館が香港の古玩市場で購入した戦国時代の楚竹簡。全千二百余簡、三万五千字。
- 簡文中に、楚国に関する史実記載があり、また簡文の字体は楚国文字。さらに、「戦国晩期」と推測される賦残簡があることなどから、楚国遷郢以前の貴族墓中の随葬品。
- 儒家類を中心に、道家、兵家、陰陽家などの文献、約百種。『周易』『恆先』『孔子詩論』『詩楽』『緇衣』『子羔』『孔子閑居』『彭祖』『曾子』『武王踐阼』『賦』『子路』『曹沫之陳』『夫子答史籀問』『四帝二王』『曾子立孝』『顔淵』『仲弓』など。この内、篇題を伴うものが約二十篇。
- 現在まで、『上海博物館蔵戦国楚竹書(一)』(二〇〇一年十一月)、同(二)(二〇〇二年十二月)、同(三)(二〇〇四年三月)、同(四)(二〇〇四年十二月)、同(五)(★)、同(六)(二〇〇七年七月)が刊行された。収録状況は次の通り。
(一)『孔子詩論』『緇衣』『性情論』
(二)『民之父母』『子羔』『魯邦大旱』『従政』『昔者君老』『容成氏』
(三)『周易』『仲弓』『恒先』『彭祖』
(四)『采風曲目』『逸詩』『昭王毀室 昭王與★(龍+共)之★(月+隼 ・注1)』
『柬大王泊旱』『内礼』『相邦之道』『曹沫之陳』
(五)『競建内之』『鮑叔牙與隰朋之諫』『季庚子問於孔子』『姑成家父』『君子爲禮』
『弟子問』『三徳』『鬼神之明 融師有成氏』
(六)『競公瘧』『孔子見季桓子』『荘王既成 申公臣霊王』『平王問鄭寿』
『平王与王子木』『慎子曰恭倹』『用曰』『天子建州』
◆参考 上博楚簡の年代測定
上博楚簡は、盗掘されて香港の骨董市場に流出したものであるため、出土時期や出土地などは一切明らかにされていない。『上海博物館蔵戦国楚竹書(一)』の馬承源「前言:戦国楚竹書的発現保護和整理」は、出土地について、湖北省からの出土であるという話が伝わっており、流出した時期が郭店一号楚墓の盗掘時期と接近していることから、郭店墓地出土の可能性も考慮されるが、確証はないという。
また、竹簡の年代については、「上海博物館竹簡様品的測量証明」と中国科学院上海原子核研究所の分析によって戦国後期という測定結果が出されており、竹簡の内容や字体の検討、郭店楚簡との比較などを総合して、楚が郢から都を遷す(前二七八)以前の貴族の墓に副葬されていたものであろうと推定している。
なお、「馬承源先生談上海簡」(『上博館蔵戦国楚竹書研究』所収)には、二二五七±六五年前という中国科学院上海原子核研究所の測定値が紹介されている。一九五〇年を定点とする国際基準にしたがえば、前三〇七±六五年、すなわち前三七二年から前二四二年となり、下限は秦の将軍白起が郢を占領した前二七八年に設定されることから、書写年代は前三七二年から前二七八年の間と推定される。すなわち、上海博物館蔵戦国楚竹書と郭店楚簡とは、戦国時代の楚墓に副葬されたほぼ同時期の資料と見なされる。
◆第三分冊の内訳
- 『周易』……簡長四四cm、三道編線(縄)、毎簡約四四字、全五八簡、三十五卦分、全千八百字。黒・紅など六種の記号あり。最古の『周易』テキスト。
- 『仲弓』……全二十八簡。孔子が弟子の仲弓の質問に答える語録の形式。孔子の政治見解を示す貴重な資料。他の伝世文献には見えない。仲弓は前五二二〜?、姓名は冉雍、仲弓はその字。孔門十哲の一人で、徳行にすぐれていたとされる。
- 『恒先』……全十三簡、残欠なし。道家の虚静の理論を説き、宇宙創生・形名関係などを論述。第三簡背面に「恆先」の篇名あり。簡長三九.五p、三道編線、全十三簡、四九七字、書体は『周易』と同様。同一人の筆写。
- 『彭祖』……全八簡。彭祖関係資料。彭祖は伝説上の仙人で帝尭の臣。殷の末までおよそ八百年生きたとされ、長寿の代表とされた。『論語』述而篇に「子曰、述而不作、信而好古、竊比於我老彭」とあり、この「老彭」を老子と彭祖とする解釈もある。また『抱朴子』に関係資料多数あり。
各竹簡の形制については上博楚簡形制一覧参照
◆第四分冊の内訳
- 『采風曲目』
内容は五声の中の宮・商・峉(徴)・羽の声名とそれに属する歌曲の篇目からなり、角音の声名は見られない。歌曲の篇目は、「碩人」が『詩経』衛風に見える以外は、伝存文献中に見いだされない。残簡には、裏の竹青面に別種の著作の内容を記したものがあり、本篇はもともと完全な形のものではなく、楚の宮廷における正式な保存文書ではなかった可能性も考慮される。このように本篇は把握し難い点が多いが、これまで不明であった楚国の楽官における曲目の一部を伝える貴重な資料である。
- 『逸詩』
本篇は『詩経』に見えない「交交鳴於鳥」「多薪」の二篇からなる。篇名は見いだされず、「交交鳴於鳥」は詩章の首句により、「多薪」は詩章が不完全なため詩意によって篇名とした。「交交鳴於鳥」は「君子」品性や威厳などが譬喩をもちいて歌われており、「多薪」は兄弟二人の間の親密無比の関係が歌われている。『史記』孔子世家には、古く詩は三千余篇あったが、孔子が取捨選択して『詩経』三百五篇を刪定したとある。『逸詩』は『采風曲目』とともに『詩経』に採録されなかった古代詩を伝える貴重な資料である。
- 『昭王毀室 昭王與★(龍+共)之★(月+隼)』
「昭王毀室」と「昭王與★(龍+共)之★(月+隼)」との二篇の文章からなる。篇題は見いだされず、それぞれの内容から名付けられた。「昭王毀室」の末尾と「昭王與★(龍+共)之★(月+隼)」の冒頭とは同じ第五簡にあり、二篇は墨節によって区分されている。「昭王毀室」は楚の昭王の新宮造営に際して合葬を願い出る「君子」の話、「昭王與★(龍+共)之★(月+隼)」は楚の昭王とその御者を務める★(龍+共)之★(月+隼)にかかわる話である。いずれも伝存文献には見いだされず、春秋時代の楚の逸事として貴重な意義を有している。
- 『柬大王泊旱』
本篇の竹簡は出土した泥塊の中にあり、上海博物館の実験室において剥離・脱水が行われたため、非常に保存状態がよい。篇題は記されておらず、「柬大王泊旱」という現題は冒頭の句から取り、全文の中心主題でもある。「柬大王」は史書に見える戦国初期の楚の簡王(前四三一年〜前四〇八年在位)で、内容は、柬大王の病疥と楚国の大旱にかかわる二つの逸事からなる。本篇は、戦国期の楚国の歴史や習俗について新たな知見を提供し、さらに軍事・官制・医学・気象・宗教といった多方面にわたる楚文化の探求においても重要な意義をもつ。
- 『内礼』
第一簡の背面に篇題「内豊」が倒書されている。「豊」は「禮(礼)」の初文。「内礼」という語は、文献には未見であるが、『礼記』内則篇の篇名との関連が考慮される。本篇の内容は『大戴礼記』曾子立孝篇・曾子事父母篇、『礼記』曲礼上篇との間に関連が認められ、孝の思想の展開や『大戴礼記』の成立過程などを考察する上に重要な意義を有する。
- 『相邦之道』
残存簡に篇題は見られず、末簡に記す孔子と子貢の問答から『相邦之道』と名付けた。残缺により不明な点が多いが、残存部から推測すると、魯の哀公が孔子に邦を相ける道や民の統治などについて質問し、両者の間で政治に関する問答が展開された後、宮中からもどった孔子が子貢に対して哀公を称えた内容であったと推測される。
- 『曹沫之陳』
第一簡背面に篇題が記されている。魯の荘公と曹沫との問答からなり、前半は政治、後半は軍事に関する内容であるが、篇題は軍事を主としており、兵書の性格をもった文献と見なされる。曹沫については、斉魯の講和会議(前六八一年)の席上、短刀で斉の桓公を脅迫して奪われた領土を返還させた刺客としての曹沫(『史記』刺客列伝など)が広く知られるが、本篇はすぐれた軍事家としての曹沫を語る貴重な資料であり、古代中国の兵学研究において、重要な意義を有している。
各篇の形制については「上博楚簡形制一覧表」参照
◆第五分冊の内訳
- 『競建内之』
日食時における斉の桓公と鮑叔牙・隰朋との対話を記述している。隰朋と鮑叔牙とに関する事は、史書に多く記載されているが、本篇の内容はそれらには見られないものである。
- 『鮑叔牙與隰朋之諫』
鮑叔牙・隰朋の二大夫が斉の桓公に直諫する内容である。竹簡の形制は『競建内之』とほぼ同じであり、これら二篇を同一の篇とする研究者もいる。
- 『季庚子問於孔子』
季康子と孔子とが、国の統治について問答するというものであり、孔子の政治論が窺える。
- 『姑成家父』
春秋時代中期の晋国の三郤(郤リ・郤★(隹+隹+牛)・郤至)に関係する。その内容は、『左伝』・『国語』などの文献と相違があり、本篇の基本的立場は三郤に同情しているようである。
- 『君子爲禮』
多くは孔子と弟子との間の問答に関するものである。文中に登場する人物は、孔子・顔淵・子羽・子貢・子産・舜・禹らである。前半部は孔子と顔淵との「礼」と「仁」の関係についての問答、後半部は子羽と子貢とが、孔子と子産のどちらが賢人であるかという内容の問答を行っている。また、第十六簡には「子治詩書」との記述が見られ、「六経」の成立にかかわる記事である可能性がある。『君子爲禮』と『弟子問』の一部とは連続する可能性があるが、竹簡の多くが欠損しているため、竹簡の形制から判断することは困難である。
- 『弟子問』
孔子と弟子との応対問答に関わる内容である。孔子と宰我・顔淵、顔淵と子由、及び子羽と子貢との問答等を含み、その内容は多様である。また、附簡は、『論語』学而の「巧言令色、鮮矣仁」に相当すると見られ、注目に値する。
- 『三徳』
『大戴礼記』四代と類似する一文があることから、整理者によって「三徳」と名づけられた。その内容は、「天」・「地」・「人(民)」に関するものである。本篇における「天」と「人」との関係は、典型的な天人相関であり、人為が「天」に感応し、「天」が人為に応じた禍福を降すという思想が見られる。また、人格神として上天・上帝が位置づけられている点は、注目すべき点である。
- 『鬼神之明 融師有成氏』
篇題は無く、『鬼神之明』は整理者が内容に基づいて名付けたもの、『融師有成氏』は冒頭五字より取ったものである。第五簡の墨節によって、『鬼神之明』と『融師有成氏』とを分けている。『鬼神之明』は、『墨子』の佚文の可能性がある。『融師有成氏』は、上古の伝説上の人物の故事や夏・商の歴史に関わる内容を叙述している。
◆第六分冊の内訳
- 『競公瘧』の原釈文担当者は濮茅左氏。全十三簡(全て残簡)で、篇題は第二簡背面に「競公瘧」とある。「競公」とは春秋時代の斉の景公のことであり、本篇は、景公が「瘧」にかかったことによって引き起こった朝廷内部の論争が記されている。本篇は、斉国の歴史・宗教・哲学・医学・治国の策略、及び『晏子春秋』の材料・成書年代など、多方面の研究に価値のある史料を提供している。
- 『孔子見季桓子』の原釈文担当者は濮茅左氏。全二十七簡(全て残簡)で、元々篇題はなく、冒頭句より取る。本篇は、儒家の重要な佚文である。全文が対話形式で、孔子と季桓子との談話が記されている。
- 『荘王既成 申公臣霊王』の原釈文担当者は陳佩芬氏。全九簡で、『荘王既成』と『申公臣霊王』の二篇からなる。『荘王既成』は、無射を製造した楚の荘王と重臣とが、楚の後の王(子孫)が覇者の地位を保つことができるかについて問答しているものである。『申公臣霊王』は、楚の王子囲(後の霊王)と陳公子皇(穿封戌)との間に起こった、捕虜(鄭の皇子、皇頡)をめぐる争いについて記されているものである。
- 『平王問鄭寿』の原釈文担当者は陳佩芬氏。全七簡で、元々篇題はなく、内容に基づいて名付けられた。本篇は、楚の平王が国の「禍敗」について、鄭寿(おそらく、卜尹の観従)と問答しているものである。
- 『平王与王子木』の原釈文担当者は陳佩芬氏。全五簡で、元々篇題はなく、冒頭の句に基づいて名付けられた。本篇は、楚の王子木(太子建)が楚の平王に命ぜられて城父に至った際のことが記されている。
- 『慎子曰恭倹』の原釈文担当者は李朝遠氏。全六簡で、篇題は第三簡背面に「慎子曰恭倹」とある。本篇の内容は、現存する各種版本の『慎子』には見られず、さらに儒家の学説と関連するようであり、この「慎子」と伝世文献中の「慎子」(慎到)とは同一人物と見なせるかどうか、今後の研究が待たれる。
- 『用曰』の原釈文担当者は張光裕氏。全二十簡で、元々篇題はなく、篇中に多く見られる「用曰」を篇名とした。「用曰」とは、「諺曰」「鄙諺曰」「古語曰」等に相当し、世の中の人々に対する訓戒、実際に役立つ言葉、及び伝世文献に見られるような諺が記されている。
- 8.『天子建州』の原釈文担当者は曹錦炎氏。甲本と乙本とがあるが、内容は同じである。甲本は全十三簡、乙本は第十二簡・第十三簡が失われており、現存するのは十一簡である。儒家文献であり、主に「礼」制に関することが記されている。そこには『大戴礼記』『礼記』の中に類似する記載が見られ、先秦時期の礼学を研究するための貴重な資料を提供している。
上博楚簡形制一覧
| No. |
分冊 |
名称 |
枚数 |
簡長(cm) |
編綫 |
簡端 |
完簡 |
残簡 |
字数 |
篇 題 |
備 考 |
| 1 |
一 |
孔子詩論 |
29 |
55.5 |
三道 |
円端 |
1 |
28 |
1006 |
|
『子羔』『魯邦大旱』同筆/ 第2〜7留白簡 |
| 2 |
一 |
緇衣 |
24 |
約54.3 |
三道 |
梯形 |
8 |
16 |
978 |
|
|
| 3 |
一 |
性情論 |
45 |
約57 |
三道 |
平斉 |
7 |
38 |
1256 |
|
|
| 4 |
一 |
民之父母 |
14 |
45.8 |
三道 |
平斉 |
1 |
13 |
397 |
|
|
| 5 |
二 |
子羔 |
14 |
残簡最長54.2 |
三道 |
円端 |
0 |
14 |
395 |
「子羔」第5簡背面 |
『孔子詩論』『魯邦大旱』同筆 |
| 6 |
二 |
魯邦大旱 |
6 |
54.9/55.4 |
三道 |
円端 |
2 |
4 |
208 |
|
『孔子詩論』『子羔』同筆 |
| 7 |
二 |
従政(甲篇) |
18 |
約42.6 |
三道 |
平斉 |
9 |
9 |
519 |
|
『従政(乙篇)』同筆 |
| 8 |
二 |
従政(乙篇) |
6 |
42.6 |
三道 |
平斉 |
1 |
5 |
140 |
|
『従政(甲篇)』同筆 |
| 9 |
二 |
昔者君老 |
4 |
44.2 |
三道 |
平斉 |
3 |
1 |
158 |
|
|
| 10 |
二 |
容成氏 |
53 |
約44.5 |
三道 |
平斉 |
37 |
16 |
2062 |
「訟城★(氏+丶 ・注2)」第53簡背面 |
|
| 11 |
三 |
周易 |
58 |
44 |
三道 |
平斉 |
44 |
14 |
1806 |
|
符号(6種) |
| 12 |
三 |
仲弓 |
28 |
約47 |
三道 |
平斉 |
3 |
25 |
520 |
「中弓」第16簡背面 |
附簡1簡(24字) |
| 13 |
三 |
恒先 |
13 |
約39.4 |
三道 |
平斉 |
13 |
0 |
496 |
「亙先」第3簡背面 |
|
| 14 |
三 |
彭祖 |
8 |
約53 |
三道 |
平斉 |
3 |
5 |
291 |
|
|
| 15 |
四 |
采風曲目 |
6 |
残簡最長56.1 |
? |
平斉 |
0 |
6 |
149 |
|
|
| 16 |
四 |
逸詩 |
6 |
残簡最長27 |
? |
平斉 |
0 |
6 |
138 |
|
交交鳴於鳥(4簡)・多薪(2簡) |
| 17 |
四 |
昭王毀室
昭王與★(龍+共)之★(月+隼) |
10 |
約44 |
三道 |
平斉 |
6 |
4 |
388 |
|
昭王毀室(196字) 昭王毀室 昭王與★(龍+共)之★(月+隼)(192字) |
| 18 |
四 |
柬大王泊旱 |
23 |
約24 |
両道 |
平斉 |
23 |
0 |
601 |
|
|
| 19 |
四 |
内礼 |
10 |
44.2 |
三道 |
平斉 |
4 |
6 |
376 |
「内豊」第1簡背面倒書 |
附簡1簡(22字) |
| 20 |
四 |
相邦之道 |
4 |
残簡最長51.6 |
? |
? |
0 |
4 |
107 |
|
|
| 21 |
四 |
曹沫之陳 |
65 |
約47.5 |
三道 |
平斉 |
45 |
20 |
1784 |
「★(告+攵 ・注3)蔑之★(申+戈 ・注4)」第2簡背面 |
|
- 注1……左旁「月」右旁「隼」
- 注2……「氏」の下部に「丶」
- 注3……左旁「告」右旁「攵」
- 注4……左旁「申」右旁「戈」