「生きる」とは?「死ぬ」とは?
序文
  今、私たちは生きています。そして死にます。当たり前のことです。ここではそんな当たり前のことである「生きる」ということについて少し考えてみようとおもいます。
1、死から考える
  先ほど、私は「私たちは生きています」と書きました。みなさんは死後の世界を信じますか?私はあまり信じていません。しかし宗教の世界に置いては死後の世界と言うものはごく当たり前のものとしてとらえられています。たとえば、私達は日本人ですが、日本人ならば、ある人が死んだ場合、大抵は仏教で葬式をあげますよね(信仰があるかどうかは別として)。仏教の考え方には、いわゆる極楽と地獄といった死後の世界が存在します。私たちが今生きている世界での行い次第で死後の世界の行方が決定されるといったものです。では、死んだ後の世界があるという事は、死後の世界に行った私たちは死んでいるのでしょうか、それとも生きていると言えるのでしょうか?残念ながら私たちはこれらのことを確かめる事は出来ません。また、東洋社会の仏教に限らず西洋社会のキリスト教においても同様の事が言えます。キリスト教においては死後の現在私たちが生きている世界は死ぬまでの仮の世界であり、神に選ばれた者が死後に永遠の生命が与えられると考えられてきました。しかし、過去の人々はなぜ、このように死後の世界が存在するという考え方をするようになったのでしょうか?神というものが本当に存在し、ある預言者に死後の世界についての知識を天声として直接与えたのでしょうか?宗教にはそのような逸話がよく見受けられますが合理的でなく、確たる証拠もありません。むしろ、死後の世界というものは人々が死について考えた結果生まれてきたものであると考えた方が納得できます。自分の周りの人間が一人死んだとするなら、まず始めに悲しみの気持ちが心の中におこるでしょう。次に、一人だけでなく、他の人も次々と死んでゆく様を見たならば、死というものは特定の人のみに訪れるものではなく、誰にでも訪れるもの、つまり自分にもいずれ訪れるものであると実感させられるでしょう。こうして人々は死というものに対して考えをめぐらすようになったのです。ところで、過去の人は身近な人が死ぬことによってしか死を認識出来ませんでした。しかし、現在の私たちの場合はどうでしょうか?科学、特に医学の進歩によって、そして、情報の一般化によって、当然のことながら、人々は当たり前の様にいずれ来る死を認識しています。しかし、死を認識する事はできたとしても、実際に死を実感し、死について考えるわけでは無いですよね。やはり、死を実感し、考えを巡らすのは身近な人が死ぬというきっかけがなくては起こりません。しかし、不幸とはやはり来て欲しくないものです。私はこのページが死について考えるきっかけになれればと考えています。死について(後に述べますがそれは生についてなのですが)考える意義についてはこれから述べていこうと思います。
2、死から消極的な生へ
  先にのべたように人々は死というものを認識し、考えをめぐらすようになりました。ある人は死の後には素晴らしい新しい世界があると考えました。ある人は、恐ろしい苦痛の世界が待っていると考えました。また、ある人は死の後には何も存在しないと考えたかもしれません。しかし、結局死後にはやはり何らかの世界が存在すると人々は考えるようになりました。死に関する同じ考えを持つ人たちが考えを統一したものそれが「宗教」と言えるのではないでしょうか?しかし、みなさんが知っているように宗教とは死について、ひたすら考えているようなものでは無いですよね。むしろ、生きている間の、生き方、道徳的、倫理的な規範の様なものである場合が多いものです。先ほど、私は「宗教」を「死に関する同じ考えを持つ人たちが考えを統一したもの」と言いました。ではなぜ、死についての考えである「宗教」が我々の生を規定する宗教になったのでしょう?死に関する統一された考えであった「宗教」が元々あった日常生活で経験的に生まれてきていた道徳、倫理といったものと結び付き、私たちが今知っているような宗教になったのではないでしょうか。私はそう考えます。また死を考えるためには、生を考えることが避けては通れないからです。死が生の道徳、倫理と結び付いた時、死後の世界は生に対する「ムチ」として用いられるようになりました。死後の世界を考えた時(ここでは死後の世界が存在するものとします)、人はどのような死後の世界を望むでしょう。当然、豊かで苦痛の無い世界、いわゆる極楽、あるいは、キリスト教ならば永遠の生をやはり望むでしょう。しかし、生活の道徳、倫理と結びついた宗教は死後の世界を「ムチ」として用い、誰もが極楽に行くこと、あるいは、永遠の生を得ることを許さなくなりました。つまり、「日頃の行いが悪いと・・・・」と、いうものです。これが私たちが今知っているような宗教のかたちですよね。つまり、ひとびとは死への恐怖、あるいは死後の世界への恐怖から(あるいは死後の世界への欲望からと言えるかもしれません)、自分達の今ある生活、つまり生を見つめ直すようになったのです。しかし、これはある意味強制ですよね。つまり、「いやいや」ながら、「正しい」生活を送っているわけです。消極的な生といえるでしょう。しかし、16世紀ヨーロッパで、これとは違う動きが出てきました。これは次で述べようと思います。
3、死から積極的な生へ
  20世紀のはじめにドイツの社会学者マックス・ウェーバーが『宗教社会学論集』のなかで『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』という論文を発表しました。プロテスタンティズムとは16世紀にルターの宗教改革の影響で生まれ西ヨーロッパおよびアメリカで盛んになった反カトリック教会の諸派のことです。その教義ではは聖書を徹底的に重視されていました。このプロテスタンティズムの原点となっているのは「恩恵による選びの教説」つまり予定説といわれるものです。予定説とはカルヴァンによって唱えられ、神は永遠の生命をあたえた人間をすでに選んでいて、それ以外の他の人間は永遠の死滅に予定されており、しかもだれが永遠の生命に予定されているかは神のみぞ知るという考え方です。しかも人間がそれを変えることは絶対不可能なのです。これによって人びとは救済の道をいっさい絶たれることになり、聖書も助けえない、教会も助けえない、神さえも助けえないという状態が生まれたのです。「人間のために神があるのではなく、神のために人間が存在する」と考えるこの教説は、人びとを絶対的な孤独と不安へ陥らせました。当然のことながら、こうしたプロテスタントにとって人々の最大の問題となったのは、自分が神から選ばれているか否かということです。しかし、運命は自らの力では変えることは出来ません。そこで、人々は考え方を180度転換しました。まず「誰もが自分は選ばれているのだとあくまでも考えて、すべての疑惑を悪魔の誘惑として斥ける」つまり、自分は選ばれた人間であると思いこむこと。。そしてこの思い込みを確実なものにするために「絶え間ない職業労働」にいそしむようになりました。なぜ職業労働かというと、ルターが聖書翻訳のさい「天職」という概念を導入して以来、プロテスタントにとって世俗の職業は神が各人に与えた使命であり、職業労働につとめることが「神の栄光をます」こととされていたからです。つまり、本当に神に選ばれた人間は世間の目からみても明らかであると人々は考え、自ら率先して積極的に「天職」にいそしむようになったわけです。こうしていままでの死という宗教的不安を解消しようとして人々は職業労働に励むようになったのである。もうけることが目的ではなく、ひたすら神の意志に合わせてみずからを職業人=天職人として思い込み、職業労働を中心とした生活。欲望や快楽や気まぐれや怠惰にしたがっていてはこれは達成できません。禁欲的に日常の生活をすみずみまでコントロールしなければならない。こうして、かつてはカトリックの修道院のなかでのみなされていた禁欲的生活が、今度は世俗社会で、一般的にでおこなわれるようになりました。「来世を目指しつつ世俗の内部で行われる生活態度の合理化、これこそが禁欲的プロテスタンティズムの天職観念が作り出したものだったのだ。」そう、ウェーバーは述べています。そして、この合理的精神が後の資本主義の合理的精神へとつながってゆくのです。しかし、このようなかたちも現代の我々が生きている生き方ともちがいますよね。ではどのような違いがあるのでしょう。
4、生のための生へ
  現代の私たちのなかに死後の世界に恐怖するあまり、今ある生を制限しようとして生きている人がどれほどいるでしょうか。若者はよく言いますよね(私も若者なんですが・・)、「今が楽しければいい」と。みんな、今ある生を楽しもうとして、死後の世界を考えて生き方を規定している人なんてほとんどいないと言ってもいいでしょう。私たちはむしろ、キリスト教的には前段階にもどってしまったのかもしれません。つまり、彼らの言うところの「欲望や快楽や気まぐれや怠惰にしたがっ」た生活をしているといえます。どうしてでしょう?それは科学の発展と先ほどのプロテスタンティズムにみられたような合理的な精神がうまれてきたためです。科学の発展により人々は様々な恩恵をうけることになりました。過去にあった、様々な問題を科学は次々に解決してくれました。たとえば、情報技術の発展により人々の知識量は飛躍的に増加し、医学の発展により人間の寿命は過去では考えられないほど延びました。身近なところでも、見渡せば私たちの周りには数世紀前には考えもおよばなかったような便利なものが科学技術によってもたらされています。こうして、様々な恩恵を受けているうちに人々のなかに科学信仰が生まれてきました。つまり合理的な科学こそが正しいものであり、信ずるに足るものであるというようなものです。人々はしだいに過去の科学から見れば非合理的な宗教から離れていきました。また、この科学信仰によって人々の死生観自体も変化していったのかもしれません。かつては死後の世界と言うものは、宗教によってなんらかの規定がなされていたとはいえ、やはり、混沌とした未知の世界であることに変わりはありませんでした。しかし、科学はある意味明確に死後の世界を定義したともいえます。つまり、死後の世界は無であると。恐怖は未知なるがゆえに起きるものです。「未知なる物が自分に何らかの危害を与えるのではないだろうか?」という危惧が恐怖の根源であるからです。しかし、科学は死後の世界をもはや未知なるものでなくしてしまったのです。人々からは死後の世界に対する恐怖はしだいに薄れていきました。しかし、恐怖心が薄れるとともに、それに代わるある感情が人々の心の中に生まれてきました。それは死に対する絶望感です。つまり、「死とは避けられないものであり、かつ死後の世界は無である。今ある生は死によって終焉を必ずむかえるのだ。」という感情であり、死後の世界に快楽を期待しなくなっていったのです。このように死生観が変化することによって、人々はより一層死後の世界にとらわれることなく今ある生を生きようとするようになったのです。つまり科学は宗教の世界から自らの生を解放していったと言えるでしょう。。今ある生のために生きるという様になっていったのです。
5、これから
  しかし、これで本当によいのでしょうか?確かに我々は自由になりました。しかし、かつてはなかったような様々な問題が私たちの周りにはあふれています。たとえばそれは環境問題であり、医療問題などです。ドイツの哲学者ショウペンハウエルは「生への意思」というものをその著『意思と表象としての世界』で述べています。あらゆる生物はは誰しもが生きようとする盲目的な意思を持っているというものです。また、「意志に反する時は苦痛と呼ばれ、意志に応じるときに快感、快楽とよばれるのである。」というようにつまり、あらゆる生物はは自然状態においては盲目的に快楽を追い求め続けるという性質をもっているのです。かつては宗教という強い規制力が働いていました。そのおかげで、その欲望はおさえられていたのです。しかし、我々は自由になりました。その結果我々は欲望のままに走り続けることになったのです。ここで環境問題を取り上げてみましょう。人々は盲目的に快楽を追い続けてきました。そして、科学技術で持ってその欲望を満たし続けてきました。しかし、快楽への欲望は尽きるところがありません。ある程度の快楽が与えられたならば、ひとは更なる快楽を盲目的に追い求めてきたのです。そのために、限りある資源を惜しみなく消費してきました。そして、これが個人ではなく社会全体の動きとして起こりました。つまり、誰も止める者がいなかったのです。日本国憲法には「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」要するに、「公共の福祉に反しなければ」、言いかえるならば、「周りのみんなの迷惑にならないのならば」、何をやってもいいということなのです。その結果、人々は様々な環境問題を産み出しました。我々は今、資源を浪費することによって快楽を得ています。しかし、次世代の人々はどうなるでしょうか。我々が資源を使い尽くせば、彼らの快楽を得る権利を奪うことになっているのです。また、我々は自然を利用できるものとして、利用し尽くしてきました。快楽を得るために。その結果我々と同じように「生への意思」を持っていて、我々と同様に生きる権利を持っているはずの様々な生物を絶滅に追い込んできました。これが本当に私たちの正しい生き方であるといえるでしょうか?私は一人一人が立ち止まって考え直す必要があると思います。わたしは生や死について考えることはそのきっかけになるのではないかと思います。
 

人物注釈

・マックス=ヴェーバー
歴史家から国民経済学者に転じ、晩年独自の社会学を考案した。歴史学派から出発しながら、科学的社会理論の可能性を追求した。知識人としての立場からドイツの民主化と近代化にも努めたが、政治家として活躍しないうちに死去。歴史学派の系統に属していたが,学問方法論では新カント派の立場をとった。近代資本主義の特質を,プロテスティズムと関連せしめて究明したことは顕著な業績である。
・カルヴァン
スイスのジュネーブで宗教改革を推進したカルビィン(カルヴァン)は,『キリスト教綱要』で,神による救済に関しては予定説を強調した。そこで信徒達は自分が救済されることを確信しようとして,神の召命である職業にひたすら勤勉に従事し,その成果を致富で示そうとひたすら倹約。カルビィンは利子や利潤の追求を認めましたので、商業資本家の多くが熱心な信徒となり、フランスではユグノー, ネーデルランドではゴイセンと呼ばれ,イギリスではピューリタンと呼ばれた。マックス・ウェーバー『プロテンタンティズムの倫理と資本主義の精神』によれば,彼らが資本主義の本源的蓄積を大いに推進したと言われています。
・ルター
マルティン・ルターは1483年11月10日、ドイツのアイスレーベンに生誕。大学で法律を学び始めたものの、やがて父親の反対を押し切って修道院に入る。真剣な修道院生活と聖書との取り組みの中で、キリストの福音に生かされる喜びに至り、。そして1517年10月ルターは当時の教会で行われていた、いわゆる「免罪符」の習慣に対して「95ヶ条の提題」を公けにしました。その波紋がヨーロッパ全体を動かす宗教改革のはじまりとなる。その基本は「聖書のみ、恵みのみ、信仰のみ」という宗教改革のいわゆる三大原理である。神の前にすべての人は平等であり、神の恵み、イエス・キリストの十字架と復活によってのみ、人は救われるというものであった。その声は、ドイツをはじめ全ヨーロッパに伝わったが、当時のローマ・カトリック教会の大勢はこれを斥け、「ルターの仲間」と呼ばれ始めたこのグループは、「ルーテル教会」と呼ばれるようになった。


 
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