アリストテレス Aristoteles 前384322 

生涯 

ギリシャ北方,マケドニアのスタゲイラに生まれる.父は宮廷医.17歳のとき,プラトンのアカデメイアに入門.髄一の読書家,学園の頭脳と呼ばれた.やがて講義も担当.347年にプラトンの死と共にアテナイを離れ,諸アジアのアッソスに移る.海洋生物の研究などにも従事.343年にマケドニア皇太子の家庭教師になる.これが後のアレキサンダー大王である.353年にアテナイに戻りリュケイオンに学園を開く.散歩しながら議論したことから「逍遥学派(peripateikoi)」と呼ばれた.323年に大王が死去したことで反マケドニア気運が盛り上がり国家不敬罪で訴えられアテナイを去る.母の故郷エウボイア島で没.

 

著作

彼の著作はほぼ次の数群に分類される.

@ 論理学関係 『範疇論』『解釈論(命題論)』『分析論前後書』『トピカ(場論)』『ソピステス論駁』.

A 自然学関係 『自然学』『生成と消滅』『動物発生論』『動物史』『魂論』その他.

B 第一の哲学関係 『形而上学』

C 実践学関係『ニコマコス倫理学』『エウデモス倫理学』『大道徳学』『政治学』『アテナイ人の国政』その他.

D 制作術関係『詩論』『修辞学』など.

E 主として若い頃刊行された対話篇群『エウデモス』『哲学へのすすめ』『哲学論』など.またその他の諸著作に『善論』『イデア論』『ピュタゴラス学派論』など.なおこれらは全て断片としてのみ現存している.

思想

【形相と質料】特定の存在を扱う分化的諸科学に対して、それらを超える「第一の哲学」においては「存在としての存在」(on he on)が考究される.その探究は感性的な個物から普遍的なものをめざして遡っていく.それは、プラトンにおいては、感性的な個物からそのイデア(あるいはエイドス)に、さらに多くのイデアから善のイデアに上昇していくことであった。それではアリストテレスにおいては,このようにして明らかとなるイデアの世界,形相(エイドスeidos)の世界は,どのようにして感性的な個物の世界と結ばれうるのであろうか.

アリストテレスによれば「形相」は個物を離れてあるのではない。「形相」は個物の形相であり,個物の「形態」(morphe)である.形相として限定されない限り個物は存在しえない.この意味で個物は「現実態」(現勢態 エネルゲイア energeia)であると言われる.それでは現実に形相をとる以前に個物はどのようなものであるのか。無からはなにものも生じないのであるからそれは無ではないし,また形相を取っていないのであるからそれは個物ではない.それは一定の形相をとり,一定の個物たりうるものであるからその意味で「可能態」(潜勢態 デュナミス dunamis)と言われる.それは一定の形相をとりうる素材、すなわち「質料」(ヒュレーhule)であったと言うべきである.例えば質料としての木材が一定の形相をとって家屋となるのである.こうして個物は「形相」と「質料」とに分析され、個物はこの両者から「合成されたもの」であると考えられる。また質料が形相をとるのは一つの運動であるが、運動には「目的」(テロスtelos)がある.アリストテレスによれば,「目的」は形相に他ならない.質料は可能態として一定の形相を目的としてめざし,このような目的の実現として一定の個物となる.この意味で現実に形相を立った事物は「完成態」(完全現実態 エンテレケイア entelekheia)とも呼ばれる。また運動には原因がある.彼によればそれもまた形相である.形相を目指すことがこの運動の原因なのである.こうしてアリストテレスにおいて「目的因」と「始動因」(動力因・運動因)は,結局「形相因」に帰着し「形相」と「質料」との二つの原理が,根本的な相関原理として明確にされたのである.

プラトンは神的な製作者(デミウルゴスdemiourgos)が範型としての形相を眺めながら,空間(コーラkhora)である素材のうえに、地水風火の自然の物象を制作するという神話を説いた.アリストテレスは質料と形相との関係を可能的なものが現実的なものになるというように考えることによってプラトンの考えから神話的な要素を洗い流し,かつそれをさら徹底した,と言うことができるであろう.

参考文献 『岩波哲学・思想事典』岩波書店,『現代哲学入門』有斐閣双書,『現代哲学事典』講談社現代新書
執筆者 重田謙