ホッブズ Thomas Hobbes 15881679 

生涯 

国教会牧師の次男としてイングランドのウィルトシャー州,マームズベリー近郊のウェストポートに生まれた.12歳のとき父を失い叔父にひきとられた.1608年オクスフォード大学を卒業後キャベンディシュ男爵(後のデヴォンジャー伯)家の家庭教師として迎えられ、終生その知遇を得て文筆生活を送った、1934年から1937年にかけての3度目の大旅行の際,パリでメルセンヌのサークルに迎えられ,ガッサンディやデカルトと知り会い,またフィレンツェにガリレオを尋ねた.1940年処女作※『法学要綱』によってスチュワート絶対王政の有力な政治思想家として注目され,ピューリタン革命の勃発直前に身の危険を感じてフランスに亡命,その11年間比較的恵まれたパリの学究生活を送った.1951年『リヴァイアサン』の出版によって無神論者として異端視され,同年末ひそかに帰国して共和国新政権に帰順し,政争への介入を避けて自己の学問体系の完成に努めた.1960年の王政復古と共にチャールズ2世の厚遇を得たが,宗教界,大学,王党右翼によるホッブス主義に対する避難が強まり,ついに本国では著作の刊行が禁止された.しかしそれ以上の政治的な処置は免れ,92歳で死ぬまで精力的な著作活動を続けた. 

著作

『リヴァイアサン』(Leviathan),『哲学原理』,『自然法と国法の原理』,『自由と必然』その他多数.

思想

【体系の基礎−機械論的自然観】ホッブスはイギリス固有の経験論を継承すると共に大陸の機械論的自然観に影響されて,数学的合理主義によって唯物論の立場から独自の体系を立てた.彼はこの世界に実在するものは「物体」(corpus)のみであるとし,一切の事象は,その物体の機械的,必然的運動に他ならないと考える.したがって非物体を対象とする神学が哲学から厳しく排除されるとともに機械論的自然学が彼の体系の基礎として成り立つ.彼は,これらの運動観を人間の生理的作用はもとより,その心的作用,さらには道徳や社会にも適用しようと試みるのである.

【認識論】認識論上は感覚論と唯名論の立場が採られる.「感覚」とは外物から送られる運動によって感官の受け取る像が生理的に脳に伝えられるにすぎない.そしてこれが保存されて「記憶」となり,このふたつが知識の基礎になる.その際、観念連合としての思考を導くものが「名前」である.それゆえ思考作用は必ずしも実在と対応しない.実在するのは個々の物体だけで,抽象的・普遍的概念はたんなる記号にすぎない.この見解はウィリアム・オッカム以降イギリスに固有の唯名論的傾向を鮮明に表している.

【道徳論】彼は倫理説としては功利主義を採る.外物の作用に応じて人間の内部には感覚のほかに快,不快の感情が生ずる.快をもたらすのが善であり,不快をもたらすものが悪である.したがって,善悪は主観的なものであるとともに,他方それが引き起こす欲求の運動によって予め意志が規定されることになるため「意志の自由」は否定される.

【政治理論】ホッブスの政治,国家等についての見解は、上述の人間観からの帰結あるいは、その拡大である.彼は,先に述べられた善悪の主観的基準とは区別される,客観的な基準を国家に求めようとした.人間はいわゆる「自然状態」においては自己保存の本能にしたがって「自然権」を行使し,行動の自由を享受する.しかし,それは必然的に「万人の万人に対する戦い」という状態に至り,自然権の自己否定という結果を招くことになる.そこにおいて理性が,自ら発見する「自然法」によってこの自然権を制限し,社会契約による絶対主権の設定へと導く.かくして国家が成立しここにはじめて義務,道徳の観念すなわち善悪の客観的な基準が成立することになる.彼はこの国家契約説によって専制君主制を最も理想的な国家形態と考えた.しかし主権は自然権の保障を義務とする限りにおいて絶対的なのであり,主権の絶対性の基礎を人民の自己保存権においた点でそれは徹底した自然主義の政治理論であると言える.

参考文献

『哲学事典』平凡社,『西洋哲学史』東京大学出版会,『西洋哲学史の基礎知識』有斐閣ブックス

執筆者 重田謙