教室の歴史

前身

大阪大学では、すでに1950年代には地理学の専任教員が配置されていましたが、それは「講座外」の扱いでした。講座独立前の人文地理学分野は、1975年の文学部における日本学専攻課程設置時点で比較文化学講座に位置づけられていました。そこでは、故矢守一彦教授(1991年3月退官、1992年8月逝去)・高橋正助教授(1990年に教授昇任、1997年3月退官後、大阪大学名誉教授)の二人が人文地理学関係の研究・教育に携わり、比較文化学講座は日本における城下町研究、古地図・絵図研究の中心となっていました。教養部には、地図学史を専門とする故海野(うんの)一隆教授(1985年3月退官後、大阪大学名誉教授。2006年5月逝去)が在籍していました。その後、海野教授の後任の金坂清則教授(歴史地理学、都市史、イザベラ・バード論)が1994年に教養部の改組にともない転任してきました(のち1996年3月に京都大学大学院人間・環境学研究科へ転任、翌年度まで併任)。このことによって、実験講座として当教室が充実することとなりました。

創設と担当教員の一新

1995年、人文地理学分野は教室(講座)として独立します。そして、つづく1997年4月に戦国城下町の研究で知られる小林健太郎教授が滋賀大学教育学部より転任してきました。しかし、小林健太郎教授は同年7月に急逝されました。このために数か月間指導教官が不在という深刻な事態となったのです。こうした状況の中で、小林茂教授(文化地理学、ネパール・琉球列島研究、古地図研究)が半年間にわたって九州大学大学院比較社会文化研究科と当教室を併任し、1998年4月、正式に着任しました。さらに1999年4月には堤研二助教授(社会経済地理学、過疎地域・地域変動研究、2009年11月に教授昇任)が島根大学法文学部より着任します。このように、人文地理学分野では1990年代に入って担当教員の退官・着任などが相次いだことになります。

助手(助教)の変遷

なおこの間、人文地理学関係の助手は佐々木高弘(文化地理学・民俗地理学、現京都学園大学)、荒山正彦(文化地理学・歴史地理学、現関西学院大学)、山田朋子(文化地理学・歴史地理学・都市論)、今里悟之(村落社会地理学、現九州大学)、鳴海邦匡(歴史地理学・絵図研究、現甲南大学)の各氏によって務められてきました。鳴海氏の退職以後しばらく助教(2007年度より助手から名称変更)が不在の状況でしたが、2010年4月に波江彰彦(都市地理学・廃棄物研究)が助教に着任しました(2013年3月末で退任)。波江氏は、助教退任後も引き続き助教代理(コース・アシスタント)として教室運営を支え、2016年4月に再び助教に着任しました。

現在、そしてこれから

このような歴史を経験して、人文地理学教室は、講座として独立後担当教員が一新し、2000年4月からの大学院重点化の中、研究・教育活動において着実な発展をみせてきました。現在、当教室は大阪大学大学院文学研究科文化形態論専攻に属します。2001年度からは、文法経本館(豊中キャンパス)に独立した共同研究室と教員室、さらに日本史学教室と共同の資料室を得ました(文法経本館の改修工事により、2009年3月に現在の場所に移転)。年々学生数は増加し、随時設備の充実が図られてきました。このように、大阪大学文学研究科・文学部の中では歴史が浅いながらも、20年近くの蓄積を重ねてきた当教室ですが、2012年3月末をもって小林茂教授が定年退職することにより(2012年4月からは大阪大学名誉教授・文学研究科招へい教授)、新たな局面を迎えています。

教室創設20周年

2015年4月、人文地理学教室は1995年4月の講座化から20周年を迎えました。この記念すべき年度に、佐藤廉也教授(前九州大学)が新たに着任しました。学生数はコンスタントに増加し、30名以上のメンバーが所属するまでに成長しています。近年は、鳥取県日南町や島根県隠岐の島町などで、教室の多くのメンバーが参加して大規模な地域調査を実施しています。また、2015年11月には、23年ぶりに大阪大学において人文地理学会大会が開催され、教室総出で大会運営にあたりました。今後も、教室全体としてしっかりと力をつけ、各方面で活躍・貢献できる教室を目指していきたいと考えています。