マジャンギルの二つの酒



 

焼畑伐採を終えて「ふたり一気飲み」


 写真は、とある未亡人の焼畑伐採を手伝いに来て、ふるまわれたモロコシ酒を飲む男たち。人の畑の伐採を請け負う見返りに、酒のふるまいを受けるのは、きわめてありふれた光景である。その大部分は仕事が一段落した夕方に消費するものの、「朝飯前」にも景気づけに一杯やって、いい気分で山刀をふるう。その気持ちはよくわかる。フィールドノートをつけている筆者も、すでに一杯機嫌になっているから。

 エチオピア西南部の森林地帯で焼畑や蜂蜜採集をおこなうマジャンギルの人びとは、二種類の酒造技術を持っている。ひとつは焼畑でとれたモロコシやトウモロコシなどの穀物を原料とする穀芽酒(taajan)、今ひとつは、森で採集した蜂蜜を原料とする蜂蜜酒(ogol)である。

 前者(タージャン)は、穀物を日陰で発芽させたもの、すなわちモヤシを乾燥・製粉して、それに主原料の穀物粉を煮込んだものに混ぜてつくられる。麦芽に含まれる分解酵素を利用してつくるビールと同じ原理である。できあがりは、薄桃色に濁ったおかゆのようで、見かけはよくないが酸味がさわやかで、なれるとやみつきになる。一方後者の蜂蜜酒(オゴル)は、水で薄めた蜂蜜を、特定の木の樹皮のおがくず(Blighia unijungata Bak.; Albizia grandibracteata Taub.など)を炒ってこしらえた「酒のモト」に入れて発酵させる。醸造原理でいえばワインやヤシ酒などと同じといえるが、果実酒のように、主原料それ自体のみでつくるのではなく、おがくずという植物片を利用したモト(これが酵母の温床となる)を使うところが特殊である。このモトは、繰り返し醸造するたびに発酵力が強力になって値打ちがでる。このような製法は、高地エチオピア人のタッジとも違う。出来上がりは、甘酸っぱくさわやか。一夜づけで火のそばにおいて発酵させ、昼間のうちに飲んでしまうことが多い。暑い日にはとくに、こたえられない。

 タージャンをつくるのは、専ら女性の役目である。一方オゴルは、たいてい男性によって酒のモトが管理され、醸造も男性によることが多い。これは、焼畑と蜂蜜採集という性分業に対応している。伐採と火入れをのぞく焼畑の作業のほとんどが女性によって担われるのに対して、真っ暗闇の中で森の高木によじ登っておこなう蜂蜜採集は厳然たる男の仕事である。なぜ蜂蜜が男で農業が女なのか、理由はよくわからない。しかしながら結果として、共同体=女、社会=男、という、世界の至る所にみられる構造をここでもつくりだしている。ここでいう社会とは、共同体と共同体の間にあるもの、すなわち異なる民族間のコミュニケーションということを意味している。つまり、ヤム、タロやモロコシなどの焼畑作物が、多くの場合無償で共同体内で消費されるのに対し、蜂蜜は民族間の貴重な交換材なのである。このジェンダーに結びついた生業イデオロギーは、市場との関係を近年増しつつあるマジャンギル社会において顕著な差異をつくりだしつつある。

 冒頭で述べたような酒を用いた労働慣行は、離婚がめずらしくないマジャンギル社会で家計の重要なリスク回避機能を果たしてきた。前の焼畑の収穫の一部でどぶろくをつくり酒宴をもうければ、一日で次期の畑も準備できる。必ずしも世帯に男がいなくても、共同体のなかでは女は暮らしていけるのである。ところが、30年前から始まるキリスト教運動の中で、酒は「喧嘩や殺人を誘発する、よくないもの」とされ、若い世代は酒を飲まなくなった。それでも若い寡婦は老人の労働力をあてに、自らは飲まない酒をこしらえる。若い世代が老年となる頃には、どうなっているだろうか。


 


 (『JANESニュースレター』8号より)

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