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紙数の関係で前半部は割愛したが、その主要部は参考文献で紹介した、榎本文雄「最古の仏典」中の「仏典の口伝」と「仏典の書写」の両章に纏めているので参照されたい。


(管理人註)インド語の表記については当サイトの表記方法に従っていますのでご了承ください。

 現存最古と推定される仏教写本と申しますのは、白樺の樹皮製の29巻の巻物で、現在はロンドンの大英図書館に保管されております。白樺の樹皮をつなぎ合わせて、幅14〜25センチ、縦2.3メートルから2.5メートルにしたものを、表を内側にして下から巻いたものです。ギリシャのパピルスの形状を真似たものと推定されています。この写本は法蔵部への寄進と銘された土器の壺の中に入っていました。壺から取り出される前に撮影された写真から壺の中に写本が入っていることがわかります。写本を入れた壺がどこから出たか明確ではありませんが、伝聞によるとハッダ、現在のジャララバードの近くで発見されたそうです。ハッダは大乗仏教の授記の思想と関係する場所ですが、この写本には大乗仏教の要素が全く見られないことが注目されます。

 この写本の素材は白樺の樹皮です。インド全般ではターラという椰子の葉(貝葉)が写本の素材としてよく使われましたが、ガンダーラやその周辺から中央アジアにかけては主に白樺の樹皮が用いられました。写本というと紙に書くものと思われがちですが、紙は中国で発明されたもので、それが中国から中央アジアを経てインドまで入ってくるのはこの写本よりずっと後になります。

 この写本の言語はガンダーラ語です。ガンダーラ語というのは、ガンダーラ周辺で少なくとも紀元前3世紀頃から紀元後4世紀頃まで使われていた言語です。

 この写本はカローシュティー文字で書かれており、右から左へ横書きされています。この文字は古代インドで用いられた二種類の文字の内の一つで、ガンダーラとその周辺から中央アジアにかけて一時期使われていました。ただカローシュティー文字はインドの言語を表記するにはあまり適当ではありません。例えばアフガニスタンという国名の現地発音である「アフガーニスターン」のような長母音を短母音と区別して表記することができません。カローシュティー文字は西方のセム語の文字から生まれた文字ですが、こういう事情があってのことでしょうか、もう一つの文字が古代インドで作られます。それがブラーフミー文字です。これに関しては後で松田先生から詳しく話があると思いますが、このブラーフミー文字は英語と同じで左から右へ横書きされます。現在のインドの文字はこのブラーフミー文字から発展したものですが、スリランカや東南アジア諸国で使われている文字、チベット文字、これらもすべてインドのブラーフミー文字そのままか、或はそれの変形です。日本では墓地の卒塔婆や五輪塔に梵字が刻まれていますが、これもブラーフミー文字の一種です。

 この写本の書写年代は紀元後10年から30年頃と推定されています。ただしその根拠は、その年代に生存していた人物への言及が写本の中にあるからでして、若干疑問が残ります。この人物とは、次の「写本の内容」の第6に挙げた、当地で創作された『アヴァダーナ Avadaana』の中に登場する、紀元後10年から30年頃に歴史上実在した人物です。それでこの写本自体もその頃のものと推定されたわけです。しかし、例えば、現代の作家が小説の中で前田利家とか豊臣秀吉に言及したところで、その小説自体は当然現代の作品であって400年前のものではありません。ですから写本の中に歴史上の人物名が出るからといって、写本そのものもこの人物の生存年代である紀元後10年から30年頃だ、とは断定できないと私は考えます。もっともこの写本の文字や言語の年代的特徴から、写本年代が紀元後1世紀から2世紀であることは動かないようです。紀元後10年から30年頃となると、仏教の写本だけでなく広くインド語で書かれた最古の写本となります。ただ最近はどんどん新しい写本が発見されていますから、これよりもっと古い写本が将来見つかる可能性は十分あります。


出家とはつまり家出なのです。 次は写本の内容です。まだ全容が解明されたわけではありませんが、23〜34種類の仏典が含まれていることがこれまでに明らかにされています。大きく分けて六つのジャンルに分かれます。まず最初のジャンルは「『長阿含経』相当経典と注解」です。ここで言う『長阿含経』とは5世紀の初めに漢訳された『長阿含経』でして、その原典は法蔵部に属していたと推論されていますが、この漢訳『長阿含経』とほぼ合致する部分とその注釈がこの写本の中に発見されました。このことと、先程申した、法蔵部への寄進と銘のある壺にこの写本が納められていた事実から、この写本は法蔵部に属していたと推定されます。法蔵部がインドで消滅するとともに、この部派が伝えた『長阿含経』のインド語原典も失われ幻の原典となっていたわけですが、この写本からそれを垣間見ることができるようになりました。それから南方上座部に属する、パーリ語の『アングッタラ・ニカーヤ A:nguttara-Nikaaya』という経典に対応するものも一部発見されています。ちょうど一昨日電子メールが届きまして、この部分を研究した本が出版されたとのことです。第2番目のジャンルとして種々の「韻文経典」があり、パーリ語の『スッタニパータ Suttanipaata』とか『ダンマパダ Dhammapada』などに対応します。この『スッタニパータ』の対応部分に関しては次の「経典サンプル」のところで一つ挙げております。その次のジャンルとして「韻文撰集注解」と呼ぶべきものがあります。例えば上の2番のような韻文経典の中から韻文を抜粋して、それに注釈を施したものです。4番目は「讃仏文学」という、ブッダを讃える文学です。5番目として「仏教哲学論書」、これは『アビダルマ』とも呼ばれる体系的な哲学論書です。

 以上の5ジャンルは法蔵部以外の部派の仏典にもありますが、6番目のジャンルの『アヴァダーナ Avadaana』は事情が異なります。このジャンル自体は仏教説話文学の一種で他の部派の仏典にもありますが、この写本に含まれる『アヴァダーナ』は、この写本が発見されたと伝えられる広い意味のガンダーラで新たに創作されたものです。この点は、この『アヴァダーナ』の中に、当地で紀元後10年から30年頃に実在した歴史上の人物が言及されることからわかります。先程申しましたようにこれが写本年代を決定する資料ともなりました。なおこれまでは『アヴァダーナ』というと業報輪廻説が主題となる仏典とされていましたが、この写本の『アヴァダーナ』にはこの説が含まれていないことが注目されます。

 他の特徴として律が皆無で戒律文献が全くなく、経典の部分も少ないことが挙げられます。それに対し注釈文献とか『アヴァダーナ』が多いのです。これらは「仏説」以外の非聖典部分ですが、特にこの写本の『アヴァダーナ』は当地で創作されたものですので、ブッダが説いたものでないことは明白です。そういう「仏説」以外の非聖典部分が多く、逆にブッダが説いたと権威づけられるような聖典部分は殆どない。このことから、聖典部分は文字に書かずに口頭で伝承されていたために写本としては残っていないと推定されます。同じようなことが中央アジアで発見された仏教写本でも言えます。そこで発見された説一切有部の古い時代の写本は殆ど非聖典部分で、時代が下がるにつれて聖典部分が増えてきます。つまり写本が残っていないからといって聖典が存在しなかったのではなく、聖典は存在していたのだが口頭で伝えられていたと推定できるわけです。

 この写本の起源として、「書き写された likhidago」というメモが写本の文字の上に落書きのような形で存在することから、長く使われて写本が古くなり、中身を全て他の写本に書写した後、聖遺物として壺に保管されたのがこの写本であると推定されています。

 以上、この写本はアフガニスタンのハッダ付近において、1世紀頃に法蔵部が伝えていた仏典の一端を提示していると考えられます。これが、仏典の原典の内容に関して現在の我々が確実に知り得る最古の歴史資料になります。

 写本に書かれた原典の内容として経典サンプルを一つ紹介します。これは参考文献の2番目の Richard Salomon, A Gaandhaarii Version of the Rhinoceros Suutra で公表されている韻文テキストの冒頭です。

sarve.so bhute.so .ni.sae da.m.do  avihesao a.m;natara.m pi te.so /

metre.na citi.na hita.n(uka.mpi  eko care khargavi.sa.nagapo) //

 カローシュティー文字は長母音と短母音の区別ができませんので、ローマ字通りではなく、おそらく

サルヴェーショ ブーテーショ ニサーエ ダンドー  アヴィヘーサオー アンニャタラン ピ テーショ /

メトゥレーナ チッティーナ ヒターヌカンピー  エコー チャレー カルガヴィシャーナガッポー //

というように読んだと推定されます。内容は

一切の生物に対して棍棒(暴力)を内に納め、それら(生物)のどれも害することなく、盟友に対する心でもって、ためになるものを用いて(生物たちに)共感・同情し、サイの角のようにたった一人で歩むがよい。

というもので、パーリ語の『スッタニパータ』という聖典に対応します。

 ここの「生物」は現代人の常識通り動物以外も含みます。原語は bhute.so で、この語は動物だけではなく植物も指すからです。植物も含めた一切の生物に対する暴力、つまり殺生を行わないことが説かれているわけです。後に大乗仏教では菜食主義が勧められ、日本でも肉を食べない習慣がありましたが、動物だけでなく当然植物も生きているわけですから、その精神でいくと野菜も食べてはいけないことになります。

 2行目の「盟友」というのは「味方」を指します。その原語は2行目の冒頭の metre.na で、この語は、広隆寺に弥勒菩薩像があり、この弥勒の原語は Maitreya (マイトゥレーヤ) ですが、これと起源が同じ言葉です。弥勒菩薩は慈しみの菩薩とされていますが、この「慈しみ」という性格はMaitreyaの漢訳語に含まれる「慈(悲)」に由来します。しかし原語の Maitreya は mitra (ミトゥラ)という語に由来し、mitra は「慈しみ」という意味ではなく、戦争などで同盟する相手、つまり味方の意味です。「友軍」という言葉がありますが、そういう場合の「友」です。

 それから最後のほうに「サイの角」とあります。普通、角というとシカでもそうですが2本あります。ところがサイの場合、角が2本あるサイ以外に、インドには一角のサイもおりまして、そこで一角のサイの角のように二人ではなくて一人で行くがよいと説かれているわけです。これはたった一人の出家生活を勧めているわけですので、家族が最も大事だという現代の日本人とは正反対の価値観を表現していることになります。

 最後に挙げた参考文献の最初の Richard Salomon, Ancient Buddhist Scrolls from Gandhaara: The British Library Kharo.s.thii Fragments, Seattle: University of Washington Press; London: The British Library, 1999 はこの写本全体の内容紹介です。詳しい研究としてテキストシリーズが出版されることなり、既にその第1巻として Richard Salomon, A Gaandhaarii Version of the Rhinoceros Suutra (Gandhaaran Buddhist Texts, 1), Seattle: University of Washington Press, 2000 が刊行され、ここに今お話したサイの角をめぐる経典が載っています。あと二つ挙げている、榎本文雄「最古の仏典」『NHKスペシャル・ブッダ大いなる旅路1: 輪廻する大地・仏教誕生』、日本放送出版協会、1998年、pp. 63-68 と Enomoto Fumio, ‘The Discovery of “the Oldest Buddhist Manuscripts”’. The Eastern Buddhist, vol. 32, no. 1 (2000), pp. 157-166 は、私の書いたものです。また先ほど申したテキストシリーズの第2巻がごく最近出版されました(下記註)。まだ手元に届いていませんが、「写本の内容」の第1のジャンルの『アングッタラ・ニカーヤ』に対応するものです。

(註)Mark Allon, Three Gaandhaarii Ekottaarikaagama-Type Suutras (Gandhaaran Buddhist Texts, 2), Seattle: University of Washington Press, 2001.

[管理人追記] 本稿が掲載されている『佛教大学 総合研究所報』 No. 22(2002年)の補記(p. 29)によると、本稿は平成14年度2月16日、佛教大学四条センターにおいて「アフガニスタンの仏典」と題して開催された総合研究所公開講演会における榎本文雄教授と松田和信総合研究所教授の講演のうち、榎本教授の講演要旨を同教授がご寄稿なさったものである。当サイトへの掲載については、松田教授の快諾を承り、ここに深く感謝いたします。ありがとうございました。松田教授の講演については、同内容の報告数編がすでに同誌に掲載されているので、そちらをご参照願いたい。「アフガニスタンからノルウェーへ‐‐‐本当はなかったことになるかもしれない話‐‐‐」 13号 (1997年12月)、「シアトル、そして再びオスロとロンドンへ」 15号 (1998年12月)、「バーミヤン渓谷から現れた佛教写本 ---スコイエン・コレクション第1巻出版をめぐって‐‐‐」 19号 (2001年3月)。

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