六つの専修の7人に、それぞれの立場から「阪大文学部」のよもやま話を語ってもらいました。

座談会に参加してくれた学生のみなさん
◎佐藤由隆さん(中国哲学専修3年)
◎原井翔平さん(東洋史学専修3年)
◎福田 涼さん(日本文学・国語学専修3年)
◎藤牧諭史さん(日本語学専修2年)
◎富永千賀子さん(英米文学・英語学専修3年)
◎矢ヶ部有輝さん(人文地理学専修3年)
◎小林 基さん(人文地理学専修3年)

聞き手・構成=中井勇人(東洋史学専修3年)

専修交流について

佐藤:研究室に分かれてしまうと、他の研究室について、漠然としたイメージはあっても、具体的には知らないですよね。

原井:そうですね。ただ自分の関心に近い研究室とか、友達や先輩がいるところだと、話を聞いたりしたことはあります。日本語学の先輩の卒論のお手伝いをしたりとか。

今日の座談会参加者には言語・語学系の人が多いですが…

福田:日本語学と国語学ってどう違うんですか?

藤牧:日本語学は現代日本語を対象にしていますね。文法だけではなく日本語教育なども扱っていますよ。英語学とも、言語学という根っこの点では同じだと思いますが、やっぱり言語が違うというのは大きいですね。

富永:英米文学・英語学では私を含めフランス語を学ぶ人が多いです。英語学の論文には、英語を中国語などの英語以外の言語と比較しているものもあります。

佐藤:英米文学・英語学では、どういうふうに語学を使って研究を?

富永:研究方法としては、対象となる文献を読んだり、コーパスなどを利用して自分なりの理論を構築するというやり方が多いです。ネイティブとは違う視点で研究できるところに、日本人として英語を研究対象とすることの意味があると思っています。最近はイタリア語も勉強しています。三つ言語を学ぶといろいろ見えてきますよ。

佐藤:中国哲学だと、とりあえず中国語ができれば大丈夫ですが、敢えて第3外国語というなら漢文ですかね。

原井:東洋史も多言語が要りますね。今朝のゼミは敦煌の話でしたが、敦煌の史料は英、仏、露等の探検家が持ち帰って研究しているので、敦煌を研究しようと思ったら、中国語以外にそれらの言語も読めないと。あとモンゴル史だとアラビア語とか。あれもこれも、みたいな怖い世界です。

矢ヶ部:ベトナムだと、英語すら通じないですね。マイナー地域の研究には、英語はできて当たり前ですが、その地域の言語の習得も必須ですね。

原井:意外と外国語が要りますよね。

富永:バイリンガルだと、自分のアイデンティティに悩むことが多いそうです。話す言語によってキャラが違うというか。

矢ヶ部:言語学の世界でもそれは証明されているそうですよ。僕はトロントに長期留学して英語が話せるようになり気づいたんですが、自分の英語脳の人格と日本語脳の人格とは全然違うんですよ。英語を身に付ける過程での環境に影響を受けるらしいですね。

留学について

富永:英米文学・英語学ではアメリカやイギリスに留学に行く人が多いです。夏休みの短期留学とか。ただ、みんなが行くというわけではないです。私もですけど。

小林:へえ。英米文学・英語学の人は全員国際派志向だと思ってた(笑)。

原井:僕は将来、アメリカの大学院に進学したいなと思っています。直接Ph.D.を取りたいので、6~7年はかかります。中国学を研究したいです。

佐藤:中国哲学だと、留学先はやっぱり中国だと思います。しかし、そもそも絶対数が少ないらしく、募集しても集まらないから「是非行って」と言われました(笑)。ただ、台湾に行った先輩がすごく良かったと言っていたので、見聞を広めるためにも行きたいですね。中国や台湾は狙い目だと思います。

小林:地理学や歴史学の場合、研究対象のフィールドに行くのか、研究に詳しい先生のところに行くのかで行き先が分かれますね。僕の場合、先生を選ぶなら欧米ですが、フィールドを選ぶなら東南アジアに行きたいです。

原井:東洋史も東南アジアに留学に行く人は多いですね。東洋史には中国から来ている留学生もいて、中国語の勉強になります。

「あそ文学部」なんていう言葉がありますが…

富永:「あそ文学部」の「あそぶ」って何でしょうね? 他学部の人からは、「暇」みたいなニュアンスで言われてる気がするんですが、実際はそうじゃないのにな、と私は思います。認識にズレがあるというか。

矢ヶ部:結構忙しいですよね。

佐藤:ゼミで忙しそうにしていると、理系の友人から、文学部の「遊ぶ」は本当は遊んでるんじゃなくて、研究している内容が遊んでいるように見える、ということなんじゃないかと言われました。趣味としてやりたい学問をやっているというか。

富永:確かに、皆完全に趣味の世界に浸っていますね。だからこそ研究が楽しい。

小林:しかし、実際にはやりたいことや楽しいことに到達するまでに、基礎的なことを学ばないといけないので、大変です。僕たちはまだ修行の段階なんです。

他専修や他学部の授業について

佐藤:白話文(口語文)とかだと、書き下しが難しくなってしまうので、中国語の発音で読むのですが、そのために中国文学の演習を取ろうかなと思っています。あと、崩し字を読むために日本文学とか日本学の演習を取ったりしました。

富永:演劇学の演習を取ったら、最後は人形浄瑠璃の台本を書かされたことがあります(笑)。

小林:うちだと、歴史地理学をやるには史料の扱いについて日本史学の演習で学ばないといけません。

原井:法学部の国際公共政策の授業を受けたいなあ、と。将来的には国際学的なことを学んで、歴史の研究に還元したいなあと思っています。ただ、あくまで軸は中国学ですけどね。そこにいろいろ枝葉を付け加えたいです。

小林:軸を持つって大事ですよね。軸が無いと、研究のしようがない。

2年生から研究室ごとに分かれることについて

佐藤:急に専門的になりますよね。なので、1年生の後期をうまく利用してほしいですね。

富永:私は遊んでしまって無駄にしてしまいましたが、やるべきことをしておくといいですよね。

原井:僕も第Ⅱセメスター(1年生の後期)を無為に過ごしてしまいましたね。2年生になってからは留学という目標ができて、語学とか真面目に勉強するようになったんですけど。第Ⅱセメスターは何をすればいいかわからなくて、オンラインゲームで暇つぶししていました。

佐藤:第Ⅱセメスターは不安な気持ちになりますよね。何も専門的なことをしていないという。

原井:その点では第Ⅱセメスターって地獄ですよね。

小林:その間に、自分が何をしたいのか考えるといいかもしれませんね。

文学部のジェンダーバランス

富永:この座談会では男性が多いですけど、実際のところ、文学部は女性のほうが多いですよね。

原井:他大学はどうなんだろう。東大の文学部に行った友達は、学内で女性との出会いが少ないから他大学と合コンしたりしているらしいです。

富永:文学部で合コンをするってなんか変ですね。

藤牧:文学部の人ってそこまでガツガツしてないんじゃないですか?

富永:困ったら英米文学・英語学へどうぞ(笑)。女性は多いですから。

藤牧:日本語学も女性は多いですね。

文学部の意義

矢ヶ部:専修によって全く違いますよね。一概に文学部では括れないですから。

原井:でも、もし文学部がなくなったら、教員のような実務家を輩出できなくなるし、文献を読む手法を教える場がなくなったら、人類は過去の文献へのアクセス能力を失ってしまう。あと、文学部的なものに価値を見出してくれる人を再生産することも重要な意義ではないでしょうか。

矢ヶ部:ベトナムのような発展途上国だと、やっぱり文学部って主流じゃないんですよね。発展途上国では、自国の発展のために、人文科学よりも自然科学を優先する必要性が生じますからね。

福田:ただ、人が自らの起源を辿ろうとした際、必要になってくるのが文献であり、そしてそれを研究するのが古典文学であったり、歴史学であったりするわけじゃないですか。芸術にしても、例えば失恋の際に『若きウェルテルの悩み』を読んで、そのカタルシスで人は力を得て、前進していくわけですが、そういった作品の読み方を提供するときに、もっと面白い読み方はないか、とか、絵画などでも、これはこういうことなんだ、というのを提供していくのが文学部の営みではないでしょうか。

佐藤:人の行動の根幹である心というものに対し働きかけるものを研究する、というのが文学部の特色ですよね。即効性がないとはよく言われます。ただ、即効性のあるものだけが学問かと言えば、そうではないですよね。理系の人は即効性のある実際の道具を扱い、我々はそれを動かす、人自身を動かすために研究をしている、という意識はありますね。

藤牧:人そのものを学ぶということは、すごく価値があることですよね。自分たちを知ることがとても大切だから、文学部があるのかなあ、と。

小林:学問には、問題を解決するための学問と問題を認識する学問があると思います。文学部的な学問は後者で、そういう学問によって人は生きるエネルギーを得ていくのではないでしょうか。

大学院進学と秘めたる野望

原井:僕は大学院に進んで中国学を研究しつつ、東洋史とか中国学を勉強したい人のために奨学金を創設したいですね。それこそが中国学への貢献になるというか。中国学という軸はしっかりと持ち続けるつもりです。

福田:僕も院進学を希望するんですが、その理由としては原井君とは違っていて、やはり単純な憧れもありますね。先生方や院生の方々のようになりたいというか。あと、研究を進める上で、知らないことって次から次へと出てくるじゃないですか。それを死ぬまで突き詰めていきたいという感じです。もちろん社会貢献についても、自分なりに考えるところはあるのですが、それ以上に、少々エゴイスティックな考え方かもしれないんですけれども、中・高・大学の授業料とか、受験のための進学塾の学費とか、両親からいろいろ支援してもらってて、ある種恩返しがしたいという点でも、また自分の人生の到達点という意味でも「末は博士か大臣か」じゃないですけど、博士課程に進んで、目標を叶えたい、っていうのはありますね。

原井:あまりに甘美ですよね。

福田:自分はこれだ、っていうアイデンティティの面でも大学院って魅力的ですよね。

佐藤:なんというか、みなさんのお話を聞いていると、文学部の人ってみんなすごいビジョンを持ってるんだって高校生たちが誤解しそうですね(笑)。


『大阪大学文学部紹介2013-2014』からの抜粋。学年・所属は取材(2012年10月)当時。