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『待兼山論叢』第5号(1971)以後 文学篇

『待兼山論叢』第5号文学篇(1971)

太平記読と近世初期文芸について―「太平記」の享受から(大橋正叔)
Polyandre, histoire comiqueのréalisme(田子島屋和子)
卜一マス・マンの『ドクトル・ファウストゥス」における予示(本田陽太郎)
過渡期の自然―J. Thompson: The Seasonsの自然観(三谷治子)

『待兼山論叢』第6号文学篇(1972)

京阪アクセントからみた漢語の実態(神谷馨)
ゲーテ「パンドーラ」をめぐって(林正則)
マラルメにおけるエロチスム(上村郁子)
英語進行形の意昧論(長谷川存古)

『待兼山論叢』第7号文学篇(1973)

西鶴「一代男」の好色(松原秀江)
運命と犠牲―『親和力』をめぐって(林正則)
R.Barthesの“L'Empire des signes”(枝川昌雄)
懸想と死神―Laurence SterneのThe Journal to Elizaにおける‘amo ergo sum’と〈書くこと〉(坂本武)

『待兼山論叢』第8号文学篇(1974)

補助動詞「やる・もらう・くれる」について(紙谷栄治)
Swinburneの世界観とその詩学について(上村盛入)
ゲーテの『ドイツ亡命者の談話』について(渡辺洋子)
Scènes de la vie privéeの世界―La Comédie humaine論への序章として(柏木隆雄)

『待兼山論叢』第9号文学篇(1975)

鉢叩きの狂言について(黒木祥子)
ジョージ・エリオットのヘロイン達:ロモラ、ドロシア、グェンドレン(Ⅱ)(木村成子)
Hugo v. Hofmannsthalの抒情詩におけるSeinとWerdenについて(中野景子)
マラルメにおける“impuissance”の系譜(加覧伸彦)

『待兼山論叢』第10号文学篇(1976)

用字法から見た『三河物語』の構成(小林賢章)
クライスト『ペンテジレーア』とそのギリシャ的素材について(奥田延子)
逸脱文解釈の問題点(森田繁春)
パスカルの「アポロジー」と「心情」(永瀬春男)

『待兼山論叢』第11号文学篇(1977)

蕪村とその連衆―虚栗調をめぐって(藤田真)
昏睡と覚醒―The Yearsの世界(瀬尾素子)
ベルトルト・ブレヒトにおける「寓意劇」の成立(木村英二)
Le Portrait physique de Lucien de Rubempré dans les Illusions Perdues(Kayoko Kashiwagi)

『待兼山論叢』第12号文学篇(1978)

風の変貌―ワーズワスの詩的想像力をめぐって(斉藤隆文)
イロニーの神話―トーマス・マンの『すげかえられた首』について(赤尾美秀)
古フランス語の語順について―thème・rhèmeの観点からの一考察(春木仁孝)

『待兼山論叢』第13号文学篇(1979)

文字からみた手話(米川明彦)
言語行為と他者の心(堀田知子)
アンビヴァレンツと諦念―フランツ・カフカ『断食芸人』について(春山清純)
マラルメのLa Dernière ModePoésies―モードのテーマを中心として(高岡厚子)

『待兼山論叢』第14号文学篇(1980)

文治五年の慈円の和歌活動(山本一)
シャーウッド・アンダソンのアイロニー―『ワインズバーグ・オハイオ』論のために(森岡裕一)
ゴットフリート・ケラーの詩『冬の夜』(原田裕司)
L'itinéraire poétique de Rimbaud dans les derniers poèmes des Illuminations(金崎博子)

『待兼山論叢』第15号文学篇(1981)

準引用(藤田保幸)
Be Goint To考―現在と未来の間(沖田知子)
ハインリヒ・ハイネと「傾向詩」(高池久隆)
フローベル『三つの物譜』の一解釈―『ヨハネ黙示録』との関連において(金崎春幸)

『待兼山論叢』第16号文学篇(1982)

「蔵俊僧都f乍」『類集抄』について(劔持雄二)
抑制と流動―トム・ガンの詩作をたどって(白川計子)
ブレヒト後期演劇論の考察(岩本忠夫)
ボードレールの散文詩『夕べの薄明』に関する考察―「ラ・プレス」紙の「校正刷」をめぐって(北村卓)

『待兼山論叢』第17号文学篇(1983)

動詞のアスペクチュアルな素性について(森山卓郎)
根源的法助鋤詞の談話指向性(柏本吉章)
E.T.A.ホフマンのメルヘン―『小人のツァッヘス』について(中村茂裕)
ジェラール・ド・ネルヴァルにおける祝察の観念―Aurélia=祝祭の夢(七尾誠)

『待兼山論叢』第18号文学篇(1984)

淡々判の高判集(富田志津子)
0 without a Figure: King Learの世界(村井和彦)
„Einsinnigkeit“とは何か―カフカの『城』をめぐって(藤井ねり)
Petits Châteaux de Bohême―Nervalの最後の自伝(小林宣之)

『待兼山論叢』第19号文学篇(1985)

源氏物語「奥入」の性格―第一次本・第二次本の相違(岩坪健)
時制の照応再考(冨永英夫)
ヘルダーリンにおける同時代の詩的表現(松浦恵美子)
Une lecture du Tiers Livre―le développement par un mouvement circulaire(Kaji Yoshihiro)

『待兼山論叢』第20号文学篇(1986)

〈推定表現〉と〈質問表現〉の交渉(高山善行)
流動する闇―A Tale of Two Citiesのの空間(新野緑)
ティークの『長靴をはいた牡猫』―„Ironie“, „Satire“, „Scherz, Spaß“(梅澤知之)
André Gide: Les Caves du Vatican―acte gratuitとは何か(立川信子)

『待兼山論叢』第21号文学篇(1987)

風来山人『天狗欄腰鑒定縁起』考(福田安典)
群動詞とイディオム性(松本マスミ)
トーマス・マンの『ヴェニスに死す』における引用(山本佳樹)
マルスリーヌになぜ兄が二人いたのか―Gideの四つのレシと『福音書』の構造(打田素之)

『待兼山論叢』第22号文学篇(1988)

計量語彙論と国語語彙史研究(前田富祺)
『後葉和歌集』の構成および性格(佐藤明浩)
変容する身体―ブレイクの『ジェル.サレム』(渡部充一)
前置要素と語彙位格構造(東條良次)
メーリケ『プラハへの旅路のモーツァルト』における提示部の描写について(水谷益朗)
フランス語の使役構1文について―不定詞を伴う他構文との関連から(木内良行)

『待兼山論叢』第23号文学篇(1989)

貫之屏風歌の性格と表現―水に映った影の歌をめぐって(出島智子)
『癇癖談』をめぐって―その重層構造を中心に(姜錫元)
『享楽主義者マリウス』におけるインターテクスチュアリティとその時間性(玉井暲)
Parisian Values as Ideology in The Ambassadors(Chiyo Yoshii)
Empathy and Coreference of Pronominals(Sadayuki Okada)
イメージの自己増殖―ムージルの『静かなヴェロニカの誘惑』(北鳥玲子)
A.ランボー:古い肉体と新しい肉体(小谷征生)

『待兼山論叢』第24号文学篇(1990)

「藤壷のゆかり」の光と影―物語第一部に於ける紫の上の位置づけ(胡秀敏)
近世料理書における方言語形の東西対立について(余田弘実)
ゲラートの『優しい姉妹』における感情の世界(中村元保)
Producing a Queen―The Political Ideology in The Shepheardes Calendar(Mari Mizote)
隠喩と提喩―認知言語学的見地からの考察(大森文子)
生長する影―カフカの『訴訟』における「裁判所」形象(武林多寿子)
La philosophie de l'amour chez Stendhal―Introduction à la lecture de De l'Amour(Yuichi Kasuya)

『待兼山論叢』第25号文学篇(1991)

「舞姫」私読―「罪と罰」と比較しつつ(出原隆俊)
江湖詩社の桜花詠(新稲法子)
“けがる/けがす”と“よごる/よごす”―文体差から意味差へ(橋本行洋)
Blakeの詩における狂気―The Four Zoas研究(日比野真己)
Dutchman発話とその特徴(山崎英一)
ヘーローの忘却―構造から見たグリルバルツァーの『海の波、恋の波』(土居三佐子)
『マルドロールの歌』における「接近」と「隔たり」―作品-読者/語り手-聞き手に働くディナミスム(寺本成彦)

『待兼山論叢』第26号文学篇(1992)

本説をもって説く古今注ひとつ―三手文庫蔵『古今秘抄』考(近本謙介)
外国地名の漢字表記をめぐって―「オーストラリア」を中心に(王敏東)
小節の構造について(大庭幸男)
ミステリーの逆説、逆説のミステリー(光原百合)
横溢するシニフィァン―マーロウの「高々と轟きわたることば」の文学史への記入と削除を巡って(山田雄三)
カーニヴァルとしての世界―『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』の喜劇性(山本賀代)
ジャン・ジュネ『アダム・ミロワール』小論(松田和之)

『待兼山論叢』第27号文学篇(1993)

大沼枕山の剣南体(鷲原知良)
中世後期の時を表す語彙―『太平記』の「今朝」「今夜」などをめぐって(玉村禎郎)
Catherine Lescault,qui est-ce?―Le Chef-d'œuvre inconnu, roman d'amour or roman de peinture? (2)(Takao Kashiwagi)
The Spacial Form of W. B. Yeats's “The Wild Swans at Coole”(Yuko Kitamoto)
メタ否定の手続き的考察(吉村あき子)
シラー『メッシーナの花嫁』試論―コーラスの舞台効果を巡って(茂幾保代)
ロブ=グリエにおけるサディスムと虚無(神田修悦)

『待兼山論叢』第28号文学篇(1994)

〈なるべし〉という表現のこと―〈自記〉と〈他記〉とのあわい(荒木浩)
本邦禅林における「李及」像(中本大)
『合類節用集』の増補態度について―『多識編』からの引用を中心に(米谷隆史)
HAVE構文のevent構造について(早瀬尚子)
『レイミア』に現れる三つの日(村井美代予)
Weit entfernt von der „Wirklichkeit“―Die Erzählweise von Max Frischs Mein Name sei Gantenbein(Kazunori Hayanagi)
《Recueinement》試論―悔恨が甘美な思い出へと変容する時(徳永文和)

『待兼山論叢』第29号文学篇(1995)

『弁内侍目記』の描く栄枯と無常感―宝治元年章段の構想をめぐって(阿部真弓)
『漢語訳解 普通用文章』の漢語―左ルビに用いられた漢語をめぐって(小椋秀樹)
In Our Timeの構造と主題(森岡裕一)
始まり/終わりの物語―グレアム・グリーン『情事の終わり』の構造(鴨川啓信)
ノイズとしての反復―The Iceman Cometh研究(豊永高彰)
P.L.Travers: A Less Subversive Pragmaticist(三原京)
ヘルダーリンの『詩人の天職』における詩人の問題(甲斐浩一)
フランス17世紀の情念論の諸断面(1)―序論的考察:J.-F. Senault, De l'usage des passionsを概観しながら(黒岡浩一)

『待兼山論叢』第30号文学篇(1996)

『長町女腹切』試考(正木ゆみ)
宣命の「を」格表示(池田幸恵)
ゲーテのパラーディオ「巡礼」―アゥトノミー美学成立の一断面(林正則)
Fluidity and Subjectivity in G.M.Hopkins' “A Vision of the Mermaids”(Kumiko Suwa)
The Marigolds Do Not Bloom: Toni Morrison's The Bluest Eye(Mizuho Sakaguchi)
初期近代英語におけるShallWill(永尾智)
『薄明の賭け』―『シュニッツラーの運命観について』(宮本春美)
モンテーニュにおける「他老描写」の方法的意義―カエサルの場合(徳永雅)

『待兼山論叢』第31号文学篇(1997)

中国の自然認識におけるピクチュアレスク(浅見洋二)
泉鏡花「湯島詣」論―心象風景としての湯島(泉由美)
『日本霊異記』下巻の訓釈―四本を対照して(山口真輝)
藤村文学における父子関係の一断面―「捨子」慧識をめぐって(任苔均)
1nvention and Transmission: Seymour Chatman's Narrative Theory(武田雅史)
不安な旅人―ワシントン・アービングのインディアン論(飯田未希)
名詞化表現に関する一考察―英語と日本語の比較(石野牧)
プロイスラーの『クラバート』における「遊び」と世界認識(山野彩子)
Le projet abandonné de la «préface» de Jean Santeuil(加藤靖恵)

『待兼山論叢』第32号文学篇(1998)

『高山寺明恵上人行状(仮名行状)』と『高山寺縁起』(山崎淳)
『偐紫田舎源氏』の仮名字体―作者自筆楕本と板本の比較考察(内田宗一)
牧野信一の「父親小説」群と廉想渉の『三代』―父子関係を中心に(任苔均)
明末における『捜神記』出版について―一当時の知識人の小説評価にむけて(大村由紀子)
アイロニーの言語学(川上誓作)
The Humanistic Elements of Self―A Study of More's Life of Pico(Nobuhiko Kawashima)
書き換えられる未来―アイザック・アシモフの歴史改変小説と未来史(小畑拓也)
Conceptual Basis of One-Cycled Syntax(Hiroyuki Tanaka)
トーマス・マン短篇集『小フリーデマン氏』における語りの問題について(内田哲志)
La symbolique de la musique et l'espace autobiographique―autoure de Moderato Cantabile de Marguerite Duras(Midori Ogawa)

『待兼山論叢』第33号文学篇(1999)

宇治一派の末流達―宇治姓の人形遣いを中心1こ(川端咲子)
接尾語コシの成立過程(舘谷笑子)
唐代における韻律意識について(加藤聰)
『サント=ブーヴに反論する』における知性の問題―批評と創造のはざまで(和田章男)
The Inclination toward Death: A Study of Shakespeare's Twelfth Night(Yoshika Miura)
A Prostitute Angel: Dreiser's Jennie Gerhardt(Narumi Yoshino)
接続詞と時制の相互作用について:BEFORE節中の過去形と過去完了の交替の場合(田村幸誠)
フォンターネの『返すよしなく』―「男らしさ」と「女らしさ」の相剋(赤木登代)
La date dans le journal fictif―La Symphonie pastorale d'André Gide(Miki Kosaka)

『待兼山論叢』第34号文学篇(2000)

里村紹巴と奈良連歌―『狭衣物語』享受史研究の一助として(川崎佐知子)
『日本書紀』における複音節辞使用の様相(是澤範三)
小説と「映画」(寺内仲介)
『松陵集』における調諭性について(西尾俊)
クローデルと水のイメージ―日本滞在期のテキストを手掛かりに(内藤高)
Art and Politics: Oscar Wilde's Critical Theory(Masahide Kaneda)
The Power of Words in Tender is the Night: Facing up to Paternal Authority(Sachiko Tachibana)
Causal Relations and Sublectivity(Masanobu Okuda)
トーマス・マン『トーニオ・クレーガー』とその後―「芸術家問題」から「ドイツの芸術家問題」へ(村田美紀)
デカルトにおける力学の再検討(武田裕紀)

『待兼山論叢』第35号文学篇(2001)

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『大仏の御縁起」考(箕浦尚美)
接吻の日本文也史(西澤りょう)
デ「フォー」と『フォー』―「ポスト」コロニアル主体は自らを名乗りうるか(服部典之)
いわゆる「逆接」を表すノニについて―語用論的意味の語彙化(衣畑智秀)
The Predominance of Reason over Sentiment: Fatherhood in Belinda(Miho Katayama)
「完壁なる妻」のイメージ―「痣」におけるエイルマーの強迫観念(小久保潤子)
数量詞のスコープと参照点構造(森川文弘)
Klassizismus in den Trauerspielen von Andreas Gryphius(Kaito Yoshimoto)
ラコルデール『ノー1・ルダムでの講話』(1835-1836)のレトリック(岡田純子)

『待兼山論叢』第36号文学篇(2002)

秋成と天覧―『神代がたり』試論(飯倉洋一)
近代の漢字字体についての一考察―国定読本・文部宥粥行の整理案を資料として(楊昌洙)
中島敦「弟子」論(廖秀娟)
倉橋由美子と楊沫の小説比較研究―『パルタイ』の「わたし」と『肯春の歌』の林道静を巡って(朴銀姫)
李賀「鬼仙」についての一考察―李白「天仙」との比較から(後藤友里)
『アタリー』の悲劇性に関する一考察(藤本武司)
音楽家の旅―R. Wagnerを中心として(伊藤史朗)
共感覚比喩は転用か(貞光宮城)
Gulliver's Re-Acquirement of Writing: Confinement and Escape in Gulliver's Travels(Masami Takeuchi)
The Narrator's Political Strategy: Self-Presentation in The Faerie Queene(Kayoko Adachi)

『待兼山論叢』第37号文学篇(2003)

ツシタラは死なず―中島敦のカフカ受容についての覚書き(三谷研爾)
朗詠注と太子伝における「仏法最初の釈迦像」譚(中川真弓)
漢字仮名交じり文中における片仮名表記の選択―博文館『太陽』前誌群を資料として(深澤愛)
唐代音楽詩における楽器のイメージ―琴・箏・琵琶・笛(谷口高志)
The Sense of Un-Ending in Fin-De-Siècle Literature: A Study of Dr. Jekyll and Mr. Hyde and Dracula(Keiko Kiriyama)
The Horror of Poison: The Representation of Anxiety in Henry James(Nobutaka Takahashi)
A Mismatch between Grammatical and Phonological Structure in English: With Special Reference to Prepositional Phrases(Shin-ya Iwasaki)
アラベスクとヒエログリフ―フィリップ・オットー・ルンゲの芸術観をめぐって(横内詩乃)
舞台役者、またはディドロにおける感受性(中尾雪絵)
「新しい女」をめざして―羅悪錫と平塚らいてうとの比較を中心に(金華榮)

『待兼山論叢』第38号文学篇(2004)

平安時代の漢詩文における「猿声」「鹿鳴」の受容(干永梅)
上代に見られる形容詞語幹の副詞的用法―意味と形態との関係を中心に(林浩恵)
『西遊記』の叙述法について(冨永鉄平)
近代日本小説における「(人が)いる/ある」の意味変化(金水敏)
The Representation of the “Gentleman” in Barry Lyndon: The Narrative Function of the German Setting(Takamichi Ichihashi)
The Structure of “Collaboration”in Sam Shepard's Fool for Love(Michitaka Morimoto)
Some Preliminary Notes on the Scope of Numeral Phrases and Restructuring Contexts(Tomohiro Fujii)
『ツイプリアーヌスの鏡』―シュトルムにおける継母問題(山城貴茂)
L'onomastique dans L'Herbe rouge de Boris Vian―transposition de l'écriture autobiographique(Akiko Fukunaga)
モダニズム文学の実験作―老舎と漱石の初期作品を比較して(李寧)

『待兼山論叢』第39号文学篇(2005) [本文PDF閲覧]

さまよえるダヴィデの星―書き換えられた「この日をつかめ」(片淵悦久)
宮沢賢治『貝の火』論―父と子の欲をめぐって(西村真由美)
『白兔記』のテキスト(西尾俊)
ホフマン=フォン=ファラースレーベン と 民謡(阪井葉子)
中央語におけるサ行四段動詞イ音便の衰退時期をめぐって(依田恵美)
The Moment That Comes Back No More: Nostalgia in F. Scott Fitzgerald's Works(Saori Tanaka)
A Voyage Round the World in Beckett's Endgame(Yuka Kakiguchi)
The opposite is trueの解釈に関する一考察(黒川尚彦)
マルロー『王道』における身体性(上江洲律子)
メーテルランクと近代詩人たち―閉ざされた視覚への関心をめぐって(出口馨)

『待兼山論叢』第40号文学篇(2006) [本文PDF閲覧]

『今昔物語集』の「東烏」と「東雁」―『俚言集覧』・芥川龍之介「偸盗」・方言意識史の中で(岡島昭浩)
其角『雑談集』と尚白(辻村尚子)
正岡子規と中村不折―俳句革新運動と「美術」(大廣典子)
『楽府菁華』における散齣の配列について(西尾俊)
Creators of Paradise: Representations of Samoa in Somerset Maugham's “The Pool”(Makiko Nakai)
Place Where Voices Resound: Toni Morrison's Jazz(Shoko Oki)
Interpretation of PRO in Rationale Clauses(Naoko Komoto)
「理解」と「救済」―トーマス・マン『ファウストゥス博士』試論(別府陽子)
挫折した試みとしての組織―バルザック『田舎ミュ-ズ』における“Société Littéraire”(岩村和泉)
並列形式「ナリ」の変遷(岩田美穂)

『待兼山論叢』第41号文学篇(2007) [本文PDF閲覧]

定家「初学百首」にみる「部立百首を詠む」ということ―俊成『久安百首』の影響とともに(細川知佐子)
連体助詞を伴う名詞被覆形による擬古的複合名詞(蜂矢真弓)
「韓朋賦」の性格をめぐって(西川幸宏)
比較基準要素の概念拡張について(岡田禎之)
Narrating, Remembering, and Forgetting: Self-Actualization in The Bellarosa Connection(Hiroyuki Iwahashi)
The Act of Reading in Northanger Abbey(Asako Yoshino)
難易形容詞の意味構造と拡張用法について(南佑亮)
ヘルダーリンのPalingenesie受容(甲斐浩一)
モーパッサン『エラクリウス・グロス博士』―真理の探究から狂気へ(足立和彦)
ポール・オースターTravels in the Scriptoriumをめぐって(梅津彰人)

『待兼山論叢』第42号文学篇(2008) [本文PDF閲覧]

テ[手]とその周辺(蜂矢真郷)
『日本永代蔵』冒頭文考―古典駆使と銀徳への〈ひそかな思い〉をめぐって(浜田泰彦)
日本書紀古訓「イロ」に関して―兄弟姉妹の例を中心に(金紋敬)
「楊州夢」をめぐって(陳文輝)
Coleridge and Problems of Lexicography(Yoshiki Nakamura)
William Morris as a Storyteller:His Position in the Aesthetic Movement(Yoshioko Seki)
比較構文における等位構造について(吉本真由美)
Die Suche nach einer Selbstcharakterisierung des Mephistopheles in Goethe Faust II(Mariko Tsuchiya)
ディドロの美術批評『サロン』における「ジャンル画」への視線―グルーズ、ヴェルネ、ユベール・ロベールの絵画について(安倍朋子)
ククリット・プラマート『シー・ペンディン(王朝四代記)』と“クンラサトリー”―タイ近代女子教育の日本との関わりの考察とともに(平松秀樹)

『待兼山論叢』第43号文学篇(2009) [本文PDF閲覧]

『彼岸過迄』をめぐって―同時代作品との比較を中心に(坂井二三絵)
「死」にいたる道すじ―韓愈「唐河中府法曹張君墓碣銘」をめぐって(堀史人)
展示された文学史―〈プラハのドイツ語文学〉とそのベルリン展(1995)の射程(三谷研爾)
ハル敬語の形態変化の通時的考察―大阪・京都の比較を通して(竹村明日香)
A memoir woven out of the stories of others: Lucy Snowe's "heretic" self-narration in Villette(Eri Mabuchi)
Ethnic roots and historical halls: Morrison and Ghosh rescuing the cachet(Sanyat Sattar)
完了表現のBE/HAVEの生起条件とAGREE理論(村田和久)
田園都市の学び舎―メンデルスゾーン『苦悩のアルカディア』をめぐって(飯田皆実)
ゾラ『愛の一ページ』の描写とセザンヌの関係―パリとレスタックの間で(高橋愛)
イリヤ・カバコフ作品におけるテクストの役割について―〈アルバム〉と絵本挿画の関わりを手がかりとして(藤田瑞穂)

『待兼山論叢』第44号文学篇(2010)

神戸能房編『伊勢記』の著述意図と内容的特徴(勢田道生)
蘇軾の黄州左遷期の詩について―甥安節を送る詩を中心に(山上恵)
移動を表さない「-てくる」の成立―受益表現「-てくれる」との関連から(森勇太)
Changing World in On the Morning of Christ's Nativity: Milton's Reworking of Renaissance Tradition(Yae KANASAKI)
The Red Light Romance: The Narrator's “inmost Me” in The Scarlet Letter(Mariko YOSHII)
前置詞句の非対格性と擬似受動文について(本田隆裕)
植物学から物語へ― J. P. ヤコプスン『モーウンス』における「自然」の表象(奥山裕介)
『ノートル=ダム・ド・パリ』におけるフランス王―消滅したルイ11世(村上彩子)
金鶴泳作品における「民族主義」(李丞鎭)

『待兼山論叢』第45号文学篇(2011)

泉鏡花『海神別荘』考─〈舞台演出〉に注目して(西尾元伸)
白居易「三教論衡」について(堀史人)
子どもとしての民衆へのメールヒェン─グリムとそれ以前のメールヒェンの比較研究から(吉田耕太郎)
換喩と個体性─名詞句単位の換喩における語用論的コネクターの存否からみた(大田垣仁)
The Shade of Monteriano in E. M. Forster's Where Angels Fear to Tread(Ryoichi KOMEDA)
Skepticism, Action and Ideas: Dr. Monygham as a Key to Nostromo(Kazuya TANAKA)
it-Cleft構文の語用論─語用論的機能とその効果(篠原弘樹)
フランツ・カフカの動物物語における身体表現(小松紀子)
フランシス・ポンジュの理性の詩学─「私の創作方法」を読む(太田晋介)
安部公房の<亡命文学>論─安部公房が語るガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』(朴利鎮)