『待兼山論叢』第5号史学篇(1971)
教育令下の学事情況―旧摂津国有馬郡生瀬村の場合(白土芳人)
北宋政権樹立考―主に建国時の禁軍改編を中心として(温水三男)
カルヴァンとセルヴェ(砂原教男)
『待兼山論叢』第6号史学篇(1972)
中期モンゴルのハーンとサイトの関係について(森川哲雄)
宋代両浙地方の養蚕業について―特にその技術的展開を中心に(本田治)
アメリカ膨脹主義の伝統と帝国主義(高橋章)
『待兼山論叢』第7号史学篇(1973)
宋代進納制度についての一考察―特にその勅令の沿革表を中心に(魏美月)
六人部是番における国学の宗教化(山中浩之)
南宋臨安の人口再説(斯波義信)
『待兼山論叢』第8号史学篇(1974)
明代のトゥルファーンについて(堀直)
エベール・エベール派研究序説(植田俊郎)
『待兼山論叢』第9号史学篇(1975)
宋代における木材の消費と生産―江南と華北の場合(張隆義)
第一次世界大戦期のマイネッケ―「基本的諸前提」の修正をめぐって(東中野修)
『待兼山論叢』第10号史学篇(1976)
マンジュ国家の社会構造について―天命期を中心として(井上浩)
幕末泉州における豪商の思想―里井浮丘関係文書拾遺(青木善子)
『待兼山論叢』第11号史学篇(1977)
モンゴルの漢地統治制度―分地分民制度を中心として(松田孝一)
ナチス企業細胞組織の成立と発展―「ナチス労働組合」設立問題をめぐって(原田一美)
『待兼山論叢』第12号史学篇(1978)
第一次大戦後半期におけるミルナー卿の戦略と和平構想―統合的帝国主義と対ドイツ和解の論理(藤井正博)
『待兼山論叢』第13号史学篇(1979)
シャンパーニュの大市、その成立過程と内部組織―序説的概観(大黒俊二)
史料紹介 戦国末期から近世初期の平野郷関係史料について(本城正徳)
『待兼山論叢』第14号史学篇(1980)
アブライの勢力拡大―十八世紀カザフスタン史に関する一考察(川上晴)
プガチョーフの乱におけるツァーリ幻想(中村仁志)
『待兼山論叢』第15号史学篇(1981)
近畿地方の一山村における経済更生運動―部落経済更生運動にもふれつつ(大谷正)
カーシュガル・ハーン家とベグ達―17世紀中葉の東トルキスタン(澤田稔)
『待兼山論叢』第16号史学篇(1982)
ハカーマニシュ朝初期の助成労働者(川瀬豊子)
史料紹介 松浦武四郎幕末書簡および関連文書―吉永孝雄氏所蔵「松浦武四郎翁尺牘」(小堀一正)
『待兼山論叢』第17号史学篇(1983)
宋代における茶の生産について(水野正明)
農民運動先進地における経済更生運動―奈良県磐城村の場合(寺田幸治)
『待兼山論叢』第18号史学篇(1984)
明末、嘉興府嘉善県における救荒について(藤田佳美)
テューダー中期における教区教会と民衆(指昭導)
『待兼山論叢』第19号史学篇(1985)
モンゴル帝国領漢地の戸口統計(松田孝一)
カリフォルニアとヴィクトリアの人種主義―比較史的検討(藤川隆男)
『待兼山論叢』第20号史学篇(1986)
宝永元年大和川付替手伝普請について(村田路人)
清代内蒙古帰化城トゥメト旗の公文書について(萩原守)
『待兼山論叢』第21号史学篇(1987)
テマからテマ制ヘ―テマ制度の成立峙期をめぐって(中谷功治)
荻生徂徠の『樂書』校閲とその所産(陶徳民)
『待兼山論叢』第22号史学篇(1988)
タバコ植民地における白人家族―家族史と人口史によるアブローチ(和田光弘)
准東総領所の機能(長井千秋)
古代における渡海禁制の再検討(山内晋次)
『待兼山論叢』第23号史学篇(1989)
明末清初の税糧滞納に関する一考察―蘇松地域を中心として(金弘吉)
『聖セウェリヌス伝』にみる聖人像(指珠恵)
古墳時代の共同墓地―密集型土壙群の評価について(福永伸哉)
『待兼山論叢』第24号史学篇(1990)
中原庄兵衛家『万留帳』の分析―資産家形成の一事例(中川すがね)
世紀転換期イギリスにおける家内労働問題と女性労働者(松浦京子)
腕輪形石製品の成立(北條芳隆)
『待兼山論叢』第25号史学篇(1991)
朝鮮後期駅民の身分変動について―金泉道・松羅道形止案の分析を中心に(竹腰礼子)
季御読経における請僧(佐野和規)
素環刀の型式学的研究(禹在柄)
『待兼山論叢』第26号史学篇(1992)
清代前期の罷市試論―その概観と事例考察(金弘吉)
イコノクラスムの時代について―八世紀のビザンツ(中谷功治)
弥生時代の葬送儀礼と土器(大庭重信)
『待兼山論叢』第27号史学篇(1993)
鎌倉時代の国雑掌(白川哲郎)
元代法旨に見える歴代帝師の居所―大都の花園大寺と大護国仁王寺(中村淳)
ドイツ宗教改革の浸透と臣民形成―「信仰統一化」をめぐる研究動向を中心に(塚本栄美子)
『待兼山論叢』第28号史学篇(1994)
甑形土器の基礎的研究(杉井健)
慶長期における徳川家康と畿内寺社―『西笑和尚文案』の分析を通して(伊藤真昭)
一九世紀イギリスにおける福音主義キリスト教と商業(並河葉子)
『待兼山論叢』第29号史学篇(1995)
急進民族主義と改良運動―帝政ドイツにおける知識人と近代化(竹中亨)
大元ウルス命令文の書式(松川節)
渡来系文物からみた伽耶と倭における政治的変動(朴天秀)
『待兼山論叢』第30号史学篇(1996)
播暦国赤穂郡久富保の基本史料について(前田徹)
明代中期蘇州商人のネットワークの一考察―呉寛の家系の復元を中心に(坂元晶)
舶載三角縁神獣鏡の製作年代(福永伸哉)
『待兼山論叢』第31号史学篇(1997)
前世紀転換期イギリスにおける帝国と地理―「帝国意識」形成の歴史的背景(川本真浩)
古墳時代銅鏃の生産と流通(高田健一)
カラホト出土蒙漢合璧税糧納入簿断簡(松井太)
『待兼山論叢』第32号史学篇(1998)
円珍請来の菩提流志訳『不空絹索経』一巻について(愛宕邦康)
ウイグル文契約文書補考(森安孝夫)
女性首長と軍事権(清家章)
『待兼山論叢』第33号史学篇(1999)
清代江南デルタ佐雑「分防」考(太田出)
日露戦争中の出征軍人家族援護に関する一考察―下士兵卒家族救助令との関わりにおいて(北泊謙太郎)
弥生時代における土器の製作技術交流(西谷彰)
『待兼山論叢』第34号史学篇(2000)
律令制下における春宮坊の構造とその特質について(保母崇)
明代の京・通倉(田口宏二朗)
古墳における副葬品配置の変化とその意味―鏡と剣を中心にして(福永伸哉)
『待兼山論叢』第35号史学篇(2001)
二〇世紀初、朝鮮東北部のルーブル紙幣流通―近代東アジア域内流通と朝鮮の地域経済(石川亮太)
イギリス帝国史再考(宮崎章)
弥生時代における石鏃大型化の2つの画期(寺前直人)
『待兼山論叢』第36号史学篇(2002)
鎌倉幕府京都大番役の勤仕先について(木村英一)
戦後西ドイツ史研究における一九五〇年代論―「近代化」をめぐる近年の研究動向を中心に(田中晶子)
折り曲げ鉄器の副葬とその意義(清家章)
『待兼山論叢』第37号史学篇(2003)
目本近代都市社会事業行政の成立―京都市社会課を中心として(杉本弘幸)
「是に依つて快楽を得むことを期する勿れ」―明治における洋楽受容の社会文化的要因(竹中亨)
木製品における弥生時代前期の画期―広鍬Ⅰ式の製作工程の変化を中心に(中原計)
『待兼山論叢』第38号史学篇(2004)
萩藩村方支配における政策の展開と城下町町人の役割―藩権力と郡問屋の関係を中心に(加藤宏文)
阿武山古墳小考―鎌足墓の比定をめぐって(高橋照彦)
中世後期ミュンヘンにおける都市自治と都市統治(紫垣聡)
『待兼山論叢』第39号史学篇(2005) [本文PDF閲覧]
「イギリスのパンテオン」の創出と偉人顕彰―一九世紀前半のセント・ポール大聖堂とその公開性(中村武司)
17世紀ベトナム鄭氏政権と宦官(蓮田隆志)
日本原始・古代の櫂の研究(吉田知史)
『待兼山論叢』第40号史学篇(2006) [本文PDF閲覧]
十世紀初頭の法家勘申―官人の懈怠を手掛かりとして(大井喜代)
帝国を渡る沈黙―大戦間期カナダにおける戦没者追悼記念日(津田博司)
ヨモツヘグイ再考―古墳における飲食と調理の象徴としての土器(寺前直人)
『待兼山論叢』第41号史学篇(2007) [本文PDF閲覧]
帰義軍時代敦煌オアシスの税草徴発と文書行政(赤木崇敏)
軍事政策としての半済令(松永和浩)
日本・韓国出土轡の法量比較検討―銜と引手の長さに注目して(田中由理)
『待兼山論叢』第42号史学篇(2008) [本文PDF閲覧]
大阪平野における3世紀の首長墓と地域関係(福永伸哉)
19世紀イングランドにおける福祉の対象としての老人と教区聖職者(戸渡文子)
突厥トニュクク碑文箚記―斥候か逃亡者か(鈴木宏節)
『待兼山論叢』第43号史学篇(2009) [本文PDF閲覧]
元朝初期の南海貿易と行省―マングタイの市舶行政関与とその背景(向正樹)
カイロネイアの「救済神」―前二世紀カイロネイアにおける奴隷解放とサラピス(中尾恭三)
5世紀における供膳器の変化と地域性(中久保辰夫)
『待兼山論叢』第44号史学篇(2010)
大越(ベトナム)李朝の昇竜都城に関する文献史料の見直し(桃木至朗)
朝鮮半島における土器の技術革新と生産体制―民族事例との比較研究(長友朋子)
両大戦間期スイスにおける観光業の危機と革新―ホテルプラン協同組合とマス・ツーリズム(森本慶太)
『待兼山論叢』第45号史学篇(2011)
「長期の18世紀」から「東アジアの経済的再興」へ(秋田茂)
13・14世紀モンゴル朝廷に赴いたチベット人をめぐって─チベット語典籍史料から見るモンゴル時代(山本明志)
棘付花弁形杏葉の変遷と彫金技術─7世紀における新来技術の導入と定着(高松由)