日本文学・国語学専修 卒業論文題目(2009年度~)

 
   
2022年度
「皮肉」の語誌
安部公房『箱男』論―「箱/男」表象と構造の分析―
谷崎潤一郎『少年』論―行き来する少年たちと語り手―
国木田独歩『春の鳥』終末部について―独歩他作品と比較して―
岡本かの子『老妓抄』における人間関係の諸相
平安詩歌における鶴の慶賀性
谷崎潤一郎『卍』論―心中という名の非異性愛的「性愛」―
『伊勢物語』「東下り」を貴種流離譚として読む
志賀直哉「白い線」論―批評される「母」―
朝井リョウ『桐島、部活やめるってよ』論―自分だけの「真実」を追い求めて―
三島由紀夫『午後の曳航』論―「覗き」による抵抗―
『伊勢物語』の形成―非定家本を手がかりに―
   
2021年度
『和漢朗詠集』の編纂意識とその基盤―冬部「霜」の成立をめぐって―
古代・中世文学における雷について
『男色大鑑』における挿絵
『伽婢子』における幽霊描写―『剪燈新話』との比較を通して
伊丹椿園『両剣奇遇』の登場人物造型と勧善懲悪
国木田独歩『春の馬』における〈白痴〉の救済と限界―語り手「私」の視線に着目して―
泉鏡花「夜行巡査」論―二人の女性に注目して―
正岡容「風船紛失記」における断絶と接続
芥川龍之介『蜜柑』『沼地』論―三点リーダーの役割―
芥川龍之介『雛』論―雛人形を手掛かりに―
結末から読み直す『走れメロス』―ディオニス・「人質」・語りの余白―
坂口安吾『戦争と一人の女』『続戦争と一人の女』―複数のモチーフに注目して―
『夫婦善哉』における「カフェ」
宮本輝『錦繡』論―三人の女性の比較から―
鷺沢萠『ケナリも花、サクラも花』論―語り・他者・言語―
『中央公論』における「駈込み訴へ」―太宰治 は〈新人〉作家か―
村上春樹『風の歌を聴け』論―時代・若者・死について―
「空気感」の語誌
鹿児島県志布志方言の格標示について―主格を中心として―
宿題の意味の変遷と現在の用法
擬人名―モノ・コトを人名化する命名の研究―
   
2020年度
『伊勢物語』の色好みの女について
ツクヨミ神話の形成過程に関する研究―伊勢月夜見宮祭祀の観点から―
光源氏の出家―妻の死を契機とした出家をめぐって―
『沙石集』裁判説話の特徴
『河海抄』の儀式儀礼における注釈態度
『南総里見八犬伝』における女性の死について
『英草紙』における詩歌の雅化―詩歌の翻案に着目して―
中世末期~近世初期における終助詞「かし」の用法―希望表現の観点から―
『不如帰』における<ナショナリズム>
江戸川乱歩『人間椅子』に腰かける読者
芥川龍之介『或恋愛小説』論―対話形式の効果について―
川端康成「温泉宿」における女性たち
川端康成『片腕』における「片腕交換」の結末―作中のイメージを手がかりに―
内田百閒「道連」論 ―東亞版を中心に―
真杉静枝の描く台湾―「駅長の若き妻」「南方の墓」「南海の記憶」をめぐって―
『中央公論』における「駈込み訴へ」―太宰治 は〈新人〉作家か―
織田作之助『木の都』における家族
塚本邦雄テクストにおける鱗翅類のイメージ―解釈を主軸として―
三島由紀夫『詩を書く少年』論―「少年」と「R」を中心に―
『三島由紀夫レター教室』論―「手紙の書き方」本のパロディとして―
江國香織『なつのひかり』論
『国境の南、太陽の西』論―有紀子を中心に―
角田光代『対岸の彼女』論―女たちの関係性に注目して―
名付けの意味とアイデンティティーを巡る考察―角田光代『八日目の蝉』及び現実社会における実例を手掛かりに―
赤本・赤小本における「桃太郎」昔話の研究
知覚表現に見えるジェンダー
役割語から見るJ‐POPラブソング―1990年代以降の男性アーティストを中心に―
一人称からみた国語科国定教科書
差別語の変遷と所在
男装少女の役割語考察―ポップカルチャーにおけるジェンダー論を踏まえて―
   
2019年度
『源氏物語』における秋好中宮と玉鬘―光源氏との関わりをめぐって―
『源氏物語』の語り手
東宮候補としての匂宮―『源氏物語』宇治十帖における皇位継承について
物語文学における「大宮」呼称―『うつほ物語』・『源氏物語』を中心に―
『建礼門院右京大夫集』における「ためし」
海松考―源氏物語から正徹和歌へ―
『とはずがたり』における信仰と後深草院の位置づけ
『延慶本平家物語』における木曾義仲像
妬婦説話における教訓と笑い―江戸時代前期を中心に―
フィクション作品における「おネエキャラクター」の発話について
豆男物の研究
『リア王』の日本語訳の研究―言葉遊びを中心に―
中島敦『光と風と夢』論―揺らぐスティヴンスン像―
村上春樹『我らの時代のフォークロア―高度資本主義前史』論
吉本ばなな『ムーンライト・シャドウ』における再生―時間と語りに着目して―
   
2018年度
坂口安吾『青鬼の褌を洗う女』論―サチ子の自己認識―
中古文学における狐に関する一考察
『源氏物語』の結婚―親の関与に注目して―
川上弘美『蛇を踏む』論―「私」と他者の関わりに注目して―
綿矢りさ『インストール』論―語りに注目して―
仄めかす「唯一者」の語り―中上健次『十九歳の地図』論―
「ただ人」考―『源氏物語』正編を中心に―
平安王朝における「色好み」の考察
記紀に描かれた兄弟―〈末子成功譚〉について―
三島由紀夫『英霊の聲』論―「何者かのあいまいな顔」をめぐって―
『落窪物語』論 活躍する後見―あこぎの存在意義を考える―
芥川龍之介の切支丹物「奉教人の死」における表記方法
谷崎潤一郎『鍵』のまなざし―揺らぐ自己規定をめぐって―
遠藤周作『海と毒薬』論―戸田を中心に―
新古今時代の小町歌受容について
角田光代『八日目の蟬』論―作品構造と語りに注目して―
   
2017年度
「すさまじ」考―『源氏物語』を中心に―
坂口安吾『桜の森の満開の下』論―男の世界の中心に着目して―
『源氏物語』の〈死〉に関する研究
岡本かの子『花は勁し』における「生命量」
市河寛斎『北里歌』の研究―「日本化された竹枝詞」についての再検討―
猫を悼む日本漢詩について
武者小路実篤『友情』における「自然」の衝突と変容―感得・解釈・受容のプロセスを通じて―
フィクションにおける「書き言葉」変化の表現手法―日本語版『アルジャーノンに花束を』を例に―
中原中也『山羊の歌』論―〈秋〉の詩に注目して―
荻生徂徠『孫子国字解』「火攻篇」について
『彼岸過迄』論―語り手と聴き手との関係から―
太宰治『ろまん燈籠』論―メルヘンが形成する「ろまん」―
『義経記』における佐藤忠信の人物像について
近年における日本語依頼表現の変化
恩田陸『夜のピクニック』―「寛大さ」を中心に―
接尾辞「る」による動詞化現象について―現代若者語を中心に―
村上春樹『騎士団長殺し』の中の男たち―免色を中心に―
安部公房『闖入者』論―語りを中心に―
矢田津世子『茶粥の記』―語りと効果に注目して―
遠藤周作『沈黙』における物語構造の特性―ロドリゴと語り手の関係性から―
谷崎潤一郎『刺青』論―女郎蜘蛛を背負わされた辰巳芸者―
安部公房『箱男』の語用論的研究―〈箱男〉としての読者を超えて―
草野心平の詩における視覚的表現について
上方落語の「田舎ことば」―桂米朝を分析対象として―
雨月物語論
   
2016年度
海保青陵『老子国字解』について
坂口安吾『夜長姫と耳男』論―耳男の「耳」と「目」の変化―
女はらから考―『伊勢物語』「初冠」における「女はらから」の意義―
吉田松陰『講盂余話』における「狂」について
梶井基次郎『檸檬』―一顆の檸檬が爆弾に見立てられるまで―
片仮名本『因果物語』の研究―仏教観を中心に―
太宰治『富嶽百景』論―植物イメージ群の効果を中心に――
宮本輝『螢川』論―類似する表現に着目して―
『或る女』におけるヒステリーの機能
ヒーローの名乗りに関する系譜論
梶井基次郎『ある崖上の感情』論
堀田善衛『橋上幻像』―「橋」に込められた意味について―
夏目漱石作品における〈笑い〉の表現について―反復される表情―
安部公房『壁―S・カルマ氏の犯罪』―「世界の果」への到達方法を考察して―
灰谷健次郎『兎の眼』論―小谷先生とコミュニティー
『海と毒薬』における人物造型について
坂口安吾『桜の森の満開の下』論―山賊の恐怖―
太宰治『駈込み訴へ』論―ユダの「ジェラシイ」に着目して―
2015年度
近松世話浄瑠璃の道行について
菅茶山の写生詩―江戸時代後期の漢詩についての一考察
近世日本における『唐詩選』受容―注釈書の系譜をみる―
伊勢物語の古注釈について
江戸文芸における「無間の鐘」受容と変遷について
「平賀張」を考える―「飛花落葉」の文章
三島由紀夫『サド公爵夫人』論―「貞淑」を手がかりに―
源氏物語の「遺言」についての研究
現代表記におけるマイナス性を表すカタカナ
   
2014年度
西鶴本における異体仮名使い分けの研究―装飾性から見る用字法―
庄野潤三「静物」試論―聞こえてくる〈声〉を中心に―
津村記久子『ポトスライムの舟』論―ナガセの労働観を中心に―
泉鏡花「高野聖」試論―その語りをめぐって―
近世後期上方語と江戸語の比較
太宰治『満願』論―「うっとうしい胸のうち」を手がかりに―
近世後期における表記符号「。」の在り方―浮世草子・洒落本・滑稽本・草双紙を中心として―
坂口安吾「風博士」論
人の容姿を評価する表現―名詞を中心に―
長野まゆみ『改造版 少年アリス』論
鈴虫巻における秋好中宮の発心―六条御息所死霊との関わりから―
川端康成『女であること』論―それぞれの「女であること」をめぐって―
『源氏物語』における雪景色―「雪」についての一考察―
   
2013年度
「グスコンブドリの伝記」と「グスコーブドリの伝記」の比較
近世後期上方語と江戸語の比較
夜食時分『好色万金丹』『好色敗毒散』論
「プレゼンス」の語史を通して見る、外来語の意味変化について
日本語でのソクラテスの話しぶりについて
日本語オノマトペの二音節語基における音象徴―k-r-型の語基を中心に
作者・為永春水と人情本読者
坂口安吾「桜の森の満開の下」小考
蒙古襲来と近世漢文学―歴史解釈のあり方をめぐって―
「村夫子もの」に見る成島柳北の諷刺―明治初期における言論統制と新聞文芸―
『誹風柳多留』についての一考察―初代川柳評句を中心に―
『源氏物語』朱雀院女三宮の品位について
近世漢詩に詠われた長崎―来遊詩人の作品を中心に―
明治期政治小説における外国語・外来語の表記―須藤南翠、末広鉄腸の作品を中心に―
『源氏物語』における秘琴伝授
東伯耆地方方言における疑問文について
島田雅彦『彗星の住人』論―語り手・場所・時間―
石川丈山「富士山」詩の研究―その古典化をめぐって―
『南総里見八犬伝』船虫論
三島由紀夫『仮面の告白』試論―〈仮面〉と〈告白〉の意味をめぐって―
『源氏物語』の出家の類型―『栄花物語』『大鏡』『今昔物語集』を通して―
明石の君について
2012年度
中島敦『斗南先生』論―引用された漢詩に関する考察を中心に―
『源氏物語』若菜巻の考察
役割語としての「ませ」
夏目漱石の病跡について
役割語「貴様」について
おじさんたらしめる言葉「ですな」
安部公房『箱男』論 -箱男とオタクの比較を通して‐
蕪村の芭蕉受容
『今昔物語集』における地蔵説話についての研究
『大納言公任集』考
二葉亭四迷の翻訳小説における文末表現―デアルを中心に―
言語景観からみる北九州市民の方言意識
大阪弁話者の敬語ハル使用意識について
役割語としての「自分」使用の変遷~軍隊語から体育会系へ~
平安文学における文付枝についての一考察
『プールサイド小景』論―プールの役割を中心に―
小林多喜二『蟹工船』についての考察
「僕少女」についての考察
関西弁一人称「わて」の表現効果について
洒落本に見られる振り仮名について
安部公房「S・カルマ氏の犯罪」論―分身という方法―
『枕草子』類聚的章段に関する一考察
   
2011年度
「忍ぶ川」における純愛の表現
堀辰雄『美しい村』試論
乱歩作品と狂気―「空間」の視点から―
安部公房作品についての考察―『燃えつきた地図』を中心に―
大斎院選子周辺の学び―詠歌のための教養として―
『源氏物語』紫の上の出家について
夏目漱石『明暗』について―〈夢〉と〈鏡〉を中心に―
「歯車」論
近世吉原における源氏名の研究
『源氏物語』紫の上の人物造型について
近代日本文学における蝶の表象をめぐって―島崎藤村『若菜集』を中心に―
『落窪物語』女君の人物像について
三島作品にみられる「血」について
新古今和歌集と釈教歌
「食」を通して見る大衆の心―村井弦斎『食道楽』―
日本近現代文学作品における女性同士の関係について
『好色一代男』論
『摂州合邦辻』論
   
2010年度
村上春樹『アフターダーク』における語り手と「あちら側」
関西弁話者とそのキャラクター性の関連について~関西人のステレオタイプは変わったか~
〈上司語〉はいつあらわれたか~「たまえ」を中心に~
三島由紀夫作品における〈音楽〉
「モモちゃんとアカネちゃんの本」と家族について
川端康成作品における犬
芥川龍之介と中国―『支那游記』を中心に―
『本朝二十不孝』考
宮部みゆき作品における超能力について
『TUGUMI』を読む~語り手問題と手紙に目を向けて~
社会性俳句について
能《歌占》考―その構造を中心に―
プロレタリア文学における思想を堅持する女性について
『人間の証明』における登場人物の性格及びその形成
   
2009年度
〈ヤクザことば〉について
宮沢賢治作品にえがかれる業―「雁の童子」を中心に―
文学の中の沖田総司
鷺沢萌と【朝鮮・韓国】
『宇治拾遺物語』における狂惑の法師について
小川未明『赤い蝋燭と人魚』と児童文学
白詩受容における菅原道真の独自性
『宇治拾遺物語』「雀報恩事」考―類話との比較を通して―
『枕草子』における色彩表現の意味するもの
『懐硯』巻二の四「鞁の色にまよふ人」論―仏教思想と先行文学作品の影響を中心に―
社会階層に対応する役割語―翻訳作品を中心に―
「おばあさん」の役割語
『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』の世界
『徒然草』における時と銭―第一〇八段を中心として―
『世間妾形気』巻四をめぐって
 
 
Top