◇「研究グループ自己紹介 国語語彙史研究会」 前田富祺

(「日本語学」第二巻第三号三月号[昭和五十八年三月十日発行 明治書院])

雑誌『日本語学』が刊行されることになり、研究グループ自己紹介という欄が出来たので、私どもの研究会の由来・現状・将来などを書くようにとのことである。まことに有難い話である。内輪の集まりとして始まったので記録なども十分とっておらず不正確なところがあるかもしれないが、折角のことなので私の心覚えにしたがって紹介させて頂く。
昭和五十三年のことであるが、根来司氏と話をしているうちに、国語史研究の状況のことが話題になった。戦後、国語史の研究は各分野で著しく進んできたが、国語語彙史の研究は音韻史や文法史の研究に比してやや立ち遅れているように思われる。もちろん、文学作品の語彙の研究や個別の語の研究などは必ずしも少ないわけではないが、それらを語彙史としてまとめようとすると問題が多い。語彙といっても人によってその考え方は様々であるから、多くの人がそれぞれの考えを述べ自由に話し合って、語彙史を考えるための共通の基盤を作る努力をすべきでないか。などと、いつもの調子で話しているうちに、研究会を作ったらという話になったのである。早速、山内洋一郎氏に話したところ、喜んで参加して下さることになった。
こうして、根来司氏、山内洋一郎氏と私との三人の幹事だけを決め会則などは決めずに、自由で開かれた会としての国語語彙史研究会を作ることになったのである。第一回の研究会は、神戸大学で昭和五十四年四月二十一日に行うことになり、米川明彦・前田富祺が研究発表をした。学生も入れて二十名ほどのこじんまりとした会で、会の後には七・八名が阪急六甲のうどん屋に集まり懇親を深めたように記憶している。以後、年に三回、関西を中心に研究会を続けてきた。あるいは御誘いして来て頂いた方もあり、あるいは会の事を聞き付けて御出でになられた方もありで、会を重ねるごとに参会者が多くなってきており、最近は大体四十名ほどで、多い時は六十名にも近い盛会となってきている。出席者・発表者も関西の方ばかりでなく、仙台・東京・新潟・福井・松江・岡山の方など、広い範囲にわたってきている。発表は、最初は会ごとに二人ずつであったが、最近は三人に発表してもらうことが多い。質疑も含めて一人一時 間ほどとし、あまり時間の制約をせずに自由に話し合って頂くようにしている。また、会の後に簡単な懇親会を開くことも恒例のようになっている。
このような研究会の活動の中で、論文集を出そうという気運がもりあがってきた。研究会に参加しているものを中心に、各地の国語語彙史の研究に関心を持っておられる方々の参加をえて、昭和五十五年五月に『国語語彙史の研究一』を刊行することが出来た。以後、第二集、第三集を刊行し、現在第四集の刊行を準備中である。第一〜三集の内容は次のようである。
 『国語語彙史の研究』の内容
 〔第一集〕昭和55年5月17日刊行
      (略)
 〔第二集〕昭和56年5月17日刊行
      (略)
 〔第三集〕昭和57年5月17日刊行
      (略)        (いずれも和泉書院から刊行)
国語語彙史の研究は新たな進展の時を迎えているように思われる。そのような中で、国語語彙史研究会も『国語語彙史の研究』も、今後の研究の方向を切り開くような、いろいろな分野の清新な研究の発表の場となることを期待している。研究会自体が、会則などのない、開かれた会であるから、その自由な話し合いの雰囲気を大事にしつつ、しかも学的にもより高いものを目指してゆきたいと考えている。これからも、年に三回の研究会を行うとともに、年に一冊論文集を出したいと考えている。(研究会についての問い合わせは幹事まで御願いしたい。)
  研究会の歩み
   (第一回〜第十二回の日時、場所、発表題目、発表者 略)
〔追記〕校正に際して、国語語彙史研究会の研究業績、『国語語彙史の研究』に対して、財団法人新村出記念財団より第一回新村出賞が授与されることが決まったことを加えさせて頂く。