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懐徳堂記念会の会員を募集しています。さまざまな会員特典があります。

100周年豆知識
懐徳堂遺書1(かいとくどういしょ)

【大阪大学付属図書館】 戦災による焼失を免れ、戦後大阪大学に寄贈された重建懐徳堂の蔵書三万六千点のこと。財団法人懐徳堂記念会は、昭和20年(1945)3月の大阪大空襲で学舎が焼失し、その活動の拠点を失ったことに加えて、戦後のインフレによって財団の基金の価値が激減し、活動の継続が困難となった。そこで、当時文科系学部を新設することになった大阪大学に協力を求め、昭和24年(1949)、重建懐徳堂の蔵書を大阪大学に寄贈し、懐徳堂事業は財団法人懐徳堂記念会と大阪大学とが協力して行うことになった。昭和58年(1983)に懐徳堂友の会が設立されてからは、懐徳堂事業は財団法人懐徳堂記念会・懐徳堂友の会・大阪大学の三者によって受け継がれ、平成8年(1996)には懐徳堂友の会と財団法人懐徳堂記念会とが一体化して、今日に至っている。なお、これとは別に、明治44年(1911)、懐徳堂記念会によって刊行された十種の書をまとめて「懐徳堂遺書」と呼ぶ場合もある。また、現在、大阪大学および懐徳堂記念会所蔵の懐徳堂関係資料は、その後の受贈・蒐集分も併せて、約5万点にのぼっている。

懐徳堂遺書2(かいとくどういしょ)

【仲井竹山『奠陰集』】 明治44年(1911)、懐徳堂記念会によって刊行された書。旧懐徳堂の復興顕彰を目的に、明治43年(1910)に設立された懐徳堂記念会は、そのための具体的な事業として、旧懐徳堂所蔵の貴重書を翻刻して刊行する計画を立てた。五井蘭洲関係として『茗話(めいわ)』『勢語通(せいごつう)』、中井竹山関係として『奠陰集(てんいんしゅう)』『竹山国字牘(ちくざんこくじとく)』、中井履軒関係として『論語逢原(ろんごほうげん)』の五種、および「懐徳堂五種」としてまとめられた『論孟首章講義(ろんもうしゅしょうこうぎ)』(三宅石庵)、『五孝子伝(ごこうしでん)』『富貴村良農事状(ふきむらりょうのうじじょう)』(中井甃庵)、『蒙養篇(もうようへん)』『貞婦記録(ていふきろく)』(中井竹山)の総計十種であり、いずれも活字翻刻され、「懐徳堂遺書」と総称された。「懐徳堂五種」を除く各書の奥付には、「明治四十四年十月三日印刷」「明治四十四年十月五日発行」「編輯兼発行者 大阪市北区梅ヶ枝町二百十三番屋敷懐徳堂記念会代表西村時彦」「印刷者 吾妻健三郎」「印刷所 東洋印刷株式会社」「製本所 堀越日進堂」「発行所 村松文海堂」とある。

懐徳堂考(かいとくどうこう)

【懐徳堂考および電子懐徳堂考】 西村天囚による懐徳堂研究の書。明治43年(1910)、西村天囚(朝日新聞記者、のち京大講師)は、懐徳堂記念会を創設し、大阪朝日新聞に「懐徳堂研究其の一」を連載して、その顕彰に努めた。本書はこの連載を基に、明治43年(1910)3月に『懐徳堂考上巻』として35部、翌年に『懐徳堂考下巻』として75部刊行され同志に配布されたものである。その後、大正14年(1925)に、懐徳堂記念会より重印され、また、昭和59年(1984)、懐徳堂友の会より、初印本の復刻がなされた。内容は、三宅石庵・五井蘭洲から並河寒泉に至る懐徳堂百四十余年の歴史を通覧したものであり、今日においても、懐徳堂研究の最も基本的な文献としての価値を持つ。
  なお、平成15年に、『懐徳堂考』全ページをCD−ROMに収録した「電子懐徳堂考」(大阪大学大学院文学研究科、2003年3月)が制作された。

懐徳堂印存(かいとくどういんぞん)

 明治44年(1911)、懐徳堂記念会によって刊行された印譜。中井木菟麻呂(つぐまろ)所有の竹山・履軒らの印章を懐徳堂記念会が借りて印譜を作成し、線装本二冊として百部限定で刊行したもの。竹山84顆(か)(顆は印章の単位)、履軒54顆、蕉園16顆、碩果4顆、柚園17顆、桐園30顆が収められている。また、三宅石庵は終生印章を使用せず、中井甃庵、五井蘭洲、三宅春楼などの印章は散佚のため、収められていない。巻末に西村天囚および中井木菟麻呂の跋文が付載されている。
  なお、同名の印譜が、昭和14年(1939)、野内丘外編として刊行されているが、これは、「懐徳堂」三字の印など散逸して中井家に伝わらなかった印を、諸資料の印影を参考にして模刻するなど、より完備した印譜としたもので、装幀は線装三冊本と七冊本とがある。

【中井木菟麻呂】

【『懐徳堂印存』】

懐徳堂師儒公祭(かいとくどうしじゅこうさい)

【懐徳忌】 江戸時代の懐徳堂の儒者を偲ぶ記念式典。大阪府立図書館長今井貫一の主唱で創設された大阪人文会の明治43年(1910)1月の例会で、西村天囚は、五井蘭洲の事跡を講演し、懐徳堂師儒公祭の挙行を提案した(ただし、師儒公祭の件を推進したのは、中井竹山・履軒の曾孫にあたる中井木菟麻呂であるとの別伝もある)。その提案は、人文会の席上で可決され、懐徳堂記念会が母体となって、明治44年(1911)、中之島公会堂において第一回の式典を挙行した。発起人には、高崎親章(大阪府知事)、植村俊平(大阪市長)、村山龍平(朝日新聞社長)、本山彦一(大阪毎日新聞社長)、住友吉左衛門(住友銀行社主)、鴻池善右衛門(鴻池銀行社主)など、政財言論界の著名人が名を連ねている。昭和20年(1945)の重建懐徳堂の焼失によって断絶したが、その精神は、戦後の記念会における「懐徳忌(かいとくき)」として引き継がれている。

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