世界遺産候補に百舌鳥・古市古墳群
−世界でも比類なき巨大性−
大阪大学 福 永 伸 哉
神戸新聞2017年8月8日付
 大阪の百舌鳥・古市古墳群が世界文化遺産の国内推薦候補に選定された。日本の世界文化遺産は現在一七件あるが、古墳をメインにした登録を目指すのはこれが初めてだ。
 三世紀半ばから七世紀にかけて、東北から九州までの広い範囲で、一六万基以上もの古墳がつくられた。「古墳時代」と呼ばれるこの時代は、奈良盆地や大阪平野を中心に日本初の中央政権、すなわちヤマト政権が生まれた時代でもある。古墳はヤマト政権の影響下にあった有力者の墳墓で、百舌鳥・古市古墳群はその政権中枢の古墳群だ。
 百舌鳥・古市古墳群の最大の特徴は、なんといっても世界でもまれに見る墳墓の「巨大性」だ。そもそも世界の諸文化を見渡しても、長さや直径が二〇〇mをこえる古代墳墓は、日本の古墳をのぞけば秦始皇帝陵、クフ王の大ピラミッド、小アジアのリディア王陵など、十指に満たないのである。墳丘長四八六mの(伝)仁徳陵古墳、四二五mの(伝)応神陵古墳をはじめ二〇〇m以上の古墳が一一基も存在する百舌鳥・古市古墳群は、この地球上で比類なき巨大墳墓の集中地といっても過言ではない。
 いまひとつのキーワードは「多様性」だ。百舌鳥・古市古墳群には長さ五〇〇m近い前方後円墳から一〇数mの方墳まで、墳丘の形と大きさの著しい多様性が認められる。そして、その多様性には大王を頂点とするヤマト政権の構造が表わされていると考えられる。同形の墳墓で大小の違いがある例は世界でも珍しくないが、多様な形と大きさによって政治秩序を表現した日本の古墳文化は、人類史上でもきわめてユニークだ。
 比類なき巨大性と秩序ある多様性。この意義をどう説得的に示し、世界遺産登録基準の論理の中に落とし込むか。今後のユネスコへの推薦に向けて工夫のしどころとなろう。
 世界遺産登録は、百舌鳥・古市古墳群の保存と活用を進める好機だ。その総合的な計画を策定することは、生活と古墳群が共存する未来を描くことでもある。現代の市街地のそこここに一六〇〇年前の古墳が良い状態で残された景観は、連続した歴史の積み重なりの中で生きる日本の姿として、世界からの来訪者を驚かせるに違いない。
 陵墓古墳の保護にも新しい展望を期待したい。たとえば、墳丘上に茂る巨木の問題は深刻だ。深い森と化したいまの陵墓を古代からの厳かな姿と誤解される方もあろうが、墳丘が原生林のような巨木に覆い尽くされたのは明治以降のことである。人を寄せ付けない静寂の中で、じつは地中深くに伸びた根が墳丘を内側から崩しつつある可能性が高い。
 いま前面に立っても人工物かどうかさえ判別しにくい巨大な陵墓も、その精美な墳丘のシルエットがうかがえる程度にまで林相を整備すれば、恒久的な保護に資するだけでなく、桁外れの土木工事のスケールを見る者に実感させてくれることだろう。
 百舌鳥・古市古墳群には、陵墓の治定や名称、現地公開など、一朝一夕には合意が望めない課題があることをわれわれは知っている。しかし、その膠着状態の中で古墳群の「本体」が損なわれていくことだけはぜひとも避けなくてはならない。立場の違いをこえて、五百年後、千年後の日本、そして世界の人々に、この古墳群をしっかりと伝えるためにいま何ができるか。世界遺産登録がその永い取り組みの出発点になることを願っている。(神戸新聞2017年8月8日付)