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Web版川西の遺跡

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タイトル:Web版川西の遺跡

川西市の遺跡紹介

加茂遺跡

写真:加茂遺跡全景
加茂遺跡全景
伊丹段丘の北東端にある旧石器・縄文〜平安時代の集落遺跡です。縄文時代後期には、すでに小さな集落が営まれていたことが、遺跡西部で見つかっている土壙・ピット・土器棺などの遺構・遺物からうかがえます。

弥生時代中期には畿内有数の大集落となり、遺跡東部に竪穴住居の並ぶ居住区、西部に方形周溝墓・木棺墓の並ぶ墓地、そして数条の環濠が東部居住区の台地の崖以外の部分を囲む様子がこれまでの調査で明らかになってきています。
写真:弥生中期の加茂遺跡の遺構配置
弥生中期の加茂遺跡の遺構配置
写真:大型掘立柱建物と方形区画
大型掘立柱建物と方形区画
また、下加茂・栄根・小戸遺跡などの周辺の集落を統括し、この地域の中心的集落として機能していたと考えられ、1992年の遺跡東部(鴨神社北側)の調査では弥生時代としては大型の掘立柱建物やそれを囲む方形区画が見つかり、集落の首長層の住居か、宗教施設の可能性が推定されています。
写真:加茂遺跡出土の石器
加茂遺跡出土の石器
しかし、弥生時代後期になると東西二つの集落に分かれて規模も小さくなり、出土する土器も極端に少なくなります。これは畿内の他地域でも多く見られる現象で、弥生社会の大きな変動が考えられています。なお、遺跡東斜面地では明治44年に銅鐸が出土しており(栄根銅鐸)、現在、複製品が川西市文化財資料館に展示されています。

その後の時代では、古墳時代の竪穴住居や奈良・平安時代の掘立柱建物などが見つかっていますが、弥生時代中期のような大規模な集落が現れることはありませんでした。

写真:栄根銅鐸(東京国立博物館蔵)
栄根銅鐸(東京国立博物館蔵)
加茂遺跡は2000年に国の史跡に指定されました。なお、遺跡内には1993年、加茂遺跡をはじめとする市内遺跡の出土遺物を収蔵・展示する川西市文化財資料館がオープンしました。遺跡からみた川西の古代〜中世の常設展示をしていますので、ぜひご覧ください。また、鴨神社前を南に250m行くと、昭和11年に開館した宮川石器館があります。宮川雄逸氏が加茂遺跡で採集された土器と石器を展示しています。個人宅のため、見学に際しては事前の予約が必要です。
阪急川西能勢口駅から南西徒歩20分

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