今日の調査成果

 2001年7月31日(水)壁面割付・地山検出・墳丘盛土検出

第2次調査各トレンチは、写真・図面を描く為の準備に入っている。2−1トレンチでは図面を描くための基準線を設定した(割付といいます)。
2−2トレンチは明日の写真撮影に向け、断面および床面を丹念に清掃した。

第3次調査1トレンチの北側(写真奥)では地山の落ち込みの検出が続いている。この落ち込みが墳丘裾部であろうと考えている。トレンチ南側(写真手前)では墳丘面および埴輪の検出を行ったところ、形象埴輪片が出土した。
 
3−1トレンチで出土した形象埴輪片は、三角板と鋲の表現をもつ。冑(かぶと)あるいは甲(よろい)をかたどった埴輪と考えられる。

中間総括−本日までの所見概要−


(1)墳丘西半部では、明治年間の「壁土用土砂の採取」による削平が墳丘基底部のレベルよりも下にまで及んでおり、遺構として墳丘裾部を確定することは困難。
(2)墳頂部に設定した3次−2トレンチの土層観察によると、時期の異なる二つの古墳が連接していることを示す盛土のようすは現時点では認められない。
(3)3次−1トレンチでは墳丘裾部と考えられる地山の傾斜変換点を検出した。この墳丘裾部から高さ約1mの位置にテラスが確認され、テラス上から埴輪底部片が出土。原位置からはやや動いている可能性が高いが、テラス上に埴輪列が存在したことを示している。つまり、少なくとも石室のある「北墳」側は2段築成の墳丘構造となる。葺石と確定できる遺構は認められない。
(4)円筒埴輪はヨコハケを残し、タガは断面方形のかなりしっかりしたもの。ただし、原体を器壁上で静止させるヨコハケ技法は認められない。この埴輪の編年的位置と石室型式との関係が大きな検討課題である。
※この所見は発掘調査進行中の未確定な段階のものですので、扱いにご注意ください。今後の精査、検討をへて、8月10日前後に今回の調査についての調査団の所見をまとめる予定です。