中学・高校生の皆さんへ


今回の調査のまとめ  
今回の調査成果をわかりやすくまとめました。

古墳時代とは?勝福寺古墳とは?
今回の発掘調査の目的を分かりやすく紹介します。






古墳時代とは?勝福寺古墳とは?
1.古墳時代とは?

今からおよそ1700年前、3世紀中頃に、西日本の広い範囲でほぼいっせいに前方後円墳が出現しました。古墳時代の幕開けです。この時代は日本列島の広い範囲にわたる地域が政治的なまとまりをもつようになりました。いわゆる「大和政権」の成立です。以降、聖徳太子の活躍するころまでの間、およそ350年間が古墳時代と呼ばれています。

2.古墳時代のシンボル「前方後円墳」

古墳時代には各地で前方後円墳が造られました。その中でも箸墓古墳や伝仁徳陵のような巨大前方後円墳は、奈良県や大阪府に集中することから、大和政権の本拠地はこうした地域にあったのではないかと考えられています。

こうした巨大な前方後円墳以外にも、各地で形や大きさがさまざまな古墳が造られました。実は大和政権は、その関係が深い首長には前方後円墳を造ることを許し、一方、関係の薄い首長には小さな規模の古墳しか造らせなかったということが分かってきました。

つまり、どうやら古墳の形や大きさには、大和政権によるランク付けが反映されているようなのです。

図1 古墳のランク概念図

3.勝福寺古墳について

勝福寺古墳は6世紀の初めに築かれた古墳時代後期の古墳です。中心には横穴式石室をもち、須恵器が副葬されていました。

これまでは規模の小さな2つの円墳であると考えられてきました。しかし、大阪大学が昨年行った測量の図などから考えると、大きな前方後円墳である可能性が出てきました。そうなると、勝福寺古墳の被葬者は、大和政権と深い関係をもつ人であるということになります。また、つくられた時期をはっきり確かめることも今回の調査の目的の一つです。


図2 勝福寺古墳の横穴式石室
(模式図・一部想像復元)
4.まとめ

このように勝福寺古墳の調査は、川西市の歴史のみではなく、兵庫県と大阪府にまたがる「摂津」地域の歴史、さらには日本の古墳時代の大きな歴史上の出来事も探っていくその手がかりとなることが期待できるのです。


<参考文献>
都出比呂志 1998 『古代国家の胎動』日本放送出版協会

大阪大学大学院文学研究科考古学研究室 2001 『勝福寺古墳測量調査報告書』
<図板出典>
図1 都出1998より転載
図2 大阪大学大学院文学研究科考古学研究室2001石室実測図を元に作成