2002年7月23日(火) 掘削・精査・写真撮影

各トレンチとも調査が進展している。
前方部墳頂調査区西側では北棺の墓壙と思われる痕跡が検出された。東西方向に並行して土色の変化する帯が検出されており、これが北棺墓壙にあたるのではないかと考えている。

また、昨年度の墳丘主軸トレンチで検出された掘り込み跡は、北棺墓壙の痕跡ではなく、北棺の盗掘坑である可能性が出てきたのである。
前方部西トレンチ東端の断面。上から黄色・灰色・黄色と色をたがえる土を検出している。このように色の異なる土を積み重ねるのが、後期古墳の盛り土の特徴である。
東クビレ部トレンチでは中央に設置していた土層観察用の畦を除去した。調査区の中央で、更新世の礫層(地山の一種)が検出されつつある。この層を手が掛かりにして、墳丘面の検出に努めている。

須恵器の器台破片が出土している。
前方部南トレンチ内の川西市旧調査区は、底まで掘り下げることをせずに、清掃し、写真撮影に備えることとなった。
南棺の位置する箇所に新たな調査区を設定した。南棺は1971年の調査で粘土槨であるという報告が行われていたが、棺の構造については明らかにされていない部分も多かった。その構造を確認するとともに、北棺と南棺との位置関係を知るために新たな調査区を設けたのである。
インターネットを利用した調査の情報発信について、通信総合研究所と共同研究を行っている。その主な活動の一つは現地説明会のライブ中継である。しかし、それ以外にも毎日の調査成果をビデオに収めて、その動画を検索し閲覧者に提供するというシステムの構築も重要な活動の一つである。右写真はビデオ収録風景である。
まとめ

前方部墳頂調査区において、ようやく北棺の墓壙と思われる土の変色を見付けることができた。これで墳頂調査区はようやくスタートラインに立ったといえる。
南棺の位置確認を行うため、あらたに調査区を設定した。表土直下に南棺は存在すると考えられるので、数日の内にその位置は判明するであろう。