勝福寺古墳の概要と発掘調査計画
勝福寺古墳発掘調査の概要

兵庫県川西市火打2丁目に所在する勝福寺古墳は、近畿地方でも数少ない初期の横穴式石室をもつ6世紀初頭の有力古墳として古くから知られています。大阪大学考古学研究室では2000年から本古墳の調査を行なっており、今年はその最後の年として、残る課題を解明をするため、約3週間の発掘調査を行ないます。

今年の調査の目的と計画


昨年までの調査では、おおよそ以下のような成果を得ることができました。

勝福寺古墳がこれまで考えられていたような二基の円墳ではなく、一基の前方後円墳であること。墳形と規模に関しては、墳丘長40mの前方後円墳であり、クビレ部の幅が広い形態をとる古墳である。
後円部の斜面にテラスが存在し、後円部は2段築成であること。
後円部のテラスには埴輪列が存在する。
表面に連続するヨコハケを持つ埴輪の発見。この埴輪は、6世紀前葉に登場する継体大王との関連が考えられる古墳にしばしば認められるタイプであり、勝福寺古墳の被葬者は、継体支援勢力の一角を占めた猪名川流域の有力首長という評価が生まれた。
前方部墳頂では、1971年に木棺を直接埋めた墓葬(木棺直葬)が見つかっていたが、昨年度の調査でこれとは別の場所で盗掘坑が確認され、また鉄器が出土したことから、前方部頂にもう1基の墓葬が存在していた可能性が高い。前者の埋葬を南棺、後者を北棺と呼ぶことにした。北棺の推定位置は、1933年に銅鏡が採集された地点に一致する。この結果、勝福寺古墳は後円部に横穴式石室、前方部に2基の木棺直葬を持つ前方後円墳をいう理解となった。
古墳の盛り土の手法が良好に観察された。墳丘の上半と下半で 盛土の大小の単位を異にしており、特に質の違う土を小単位で盛り上げる特徴は古墳時代後期に普及していく手法の初期のものと位置づけられる。
後円部横穴式石室羨道において、階段状の石組みが見つかりました。
後円部横穴式石室前庭部より新たな石室が発見されました。

 以上のようにこの3年間の調査で多大な成果を得ることができました。しかし、墳形の細部については不明な部分があり、石室前庭部の構造がどのようなものであるか等、不明な点も多くあります。今回は、昨年夏に新たに判明した⑦の状況と⑧の石室構造を明らかにするために、後円部前庭部に調査区を設定しました。



(トレンチ配置図)

勝福寺古墳発掘調査