長尾山古墳とは
2007年度から大阪大学が発掘調査を行っている長尾山古墳は、宝塚歌劇や手塚治虫の出身地として有名な、兵庫県宝塚市に所在します。古墳は猪名川と武庫川に挟まれた長尾山丘陵の突端にある山手台南公園の一角に位置し、眼下に伊丹空港、その先に大阪梅田のビル群、遙か遠くには生駒山地を臨む眺望の良い立地です。
長尾山古墳からの眺望

1969年当時の墳丘測量図
この古墳は1960年頃には前方後円墳と考えられていましたが、1969年の宝塚市教育委員会と夙川学院短期大学日本歴史研究会の測量調査により、前方後方墳である可能性が出てきました。墳丘の規模は長35m程度と推定されました。

 この測量調査の際、古墳の頂上部分に埋葬施設の一部が見えていたとされますが、発掘調査がまだなされていないため、その全容は謎に包まれたままです。今も現地には埴輪片や葺石の一部が残っているので、もともと墳丘には埴輪が立てられ、葺石で覆われていたことが想定されています。
 大阪大学が行った2007年度の発掘調査では、葺石や埴輪列がよい状態で見つかり、長尾山古墳が古墳時代前期の前方後円墳である可能性がきわめて高くなりました。

 長尾山古墳の存在は、古墳時代の歴史、地域の歴史を探る上でも重要なポイントとなります。古墳時代、宝塚市周辺の古墳へと話を進めていきながら、その意味を探り、今回の調査の目的を述べていくことにしましょう。

長尾山古墳を見上げて
《挿図出典》
櫃本誠一1971「長尾山古墳外形測量調査報告」『兵庫県埋蔵文化財調査集報 第1集』兵庫県教育委員会
長尾山古墳測量・発掘調査2007
長尾山古墳測量・発掘調査2007