前回の調査報告はこちらです。

(写真1)

第3面の状況。写真左側、筋状に並んでいるのは畑の畝である。豊臣時代後期頃の可能性がある。

(写真2)
幕末期の井戸も掘削が進んだ。水が湧き出して周囲が水浸しになっている。最終的にはさらに木枠がもう一段下部に存在することが判明した。


(写真3)
性格不明の土坑。第3面の遺構と考えられる。全長約60cm、幅約50cmの土坑に平瓦を敷き、東辺のみ丸瓦を置く。平瓦上に長さ40cmの鉄器が置かれていた。

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