江戸時代、大坂は「天下の台所」の名の通り、全国の商業の中心地でした。諸大名は領地の年貢米や特産品を大坂に送り、ここで販売して金銀に換え、必要な物資を調達しました。

このために設けられた施設が蔵屋敷です。蔵屋敷は諸大名が大坂においた物資売買の拠点であり、同時に倉庫であり、また大名の逗留する屋敷でもありました。

大阪大学中之島キャンパス跡地は、江戸時代には広島藩蔵屋敷・久留米藩蔵屋敷のおかれていた場所です。大阪大学では大阪都心における大学エクステンションとして産業界との交流・公開講座・高度技術研修などの場とする大阪大学中之島センターの建設を計画しています。今回の発掘調査は、この中之島センター建設計画に伴う事前調査として、大阪大学埋蔵文化財調査室によって行われます。

(左上:『御田祝』より出米の図、右下:発掘現場風景)

−発掘調査速報−

(2001年10月26日現在)

*ここで紹介した調査所見はあくまでも未確定のものであることにご注意ください。発掘現場ではさまざまな可能性を考えながら慎重に掘り進めて行きますが、あらたな事実の発見、調査団内での議論によって、前日までの解釈が大きく変わることがしばしばあります。
 
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