専門:近代日本大衆音楽史、アフロ・ブラジル音楽研究、
「非西洋音楽」の受容に関する研究


●経歴

1974年金沢生まれ。
東京大学文学部、同大学院人文社会系研究科博士課程単位修得退学。
日本学術振興会特別研究員、国立音楽大学他非常勤講師を経て、
2011年4月より現職。
著書に
『創られた「日本の心」神話―「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』
(光文社新書、2010年、新書大賞2011第10位)、
共著に『クラシック音楽の政治学』(青弓社、2005年)、
『拡散する音楽文化をどうとらえるか』(勁草書房、2008年)、
論文に「音楽のグローバライゼーションとローカルなエージェンシー」
(『美学芸術学研究』第20号2002年)、
「日本のワールド・ミュージック言説における文化ナショナリズム傾向」
(『美学』第52巻4号、2002年)、
「音楽による民族=地域的『文化』の創出―ブラジル・サルヴァドールの事例から」
(『美学』第50巻4号、2000年)など。

●ひとこと

音楽は国境を越える、と言われることがあります。少なくとも一見したところ、西洋近代芸術音楽や20世紀以後の英語圏大衆音楽は、容易に国境を越えているようにも見えます。西洋芸術音楽の高名な演奏家の中には非ヨーロッパ出自の人々が多く含まれていますし、立派なコンサートホールやオペラハウスをもつ非西洋地域の都市は決して珍しくありません。ベネズエラのシモン・ボリバル・ユース・オーケストラのように、一種の社会教育(あるいは更生プログラム)として西洋近代芸術音楽に特有の演奏形態であるオーケストラが用いられる場合もあります。また、ロックやレゲエやヒップホップといった現代の英語圏出自の大衆音楽は、商業的な回路を通じて地球上のかなり多くの地域で愛好され、ローカルに実践されています。

しかしその一方で、「ヒップホップはゲットーの黒人のものであって、そのほんとうの意味は彼らにしかわからない」といったように、特定の音楽スタイルと特定の人間集団との強固で排他的な関係が主張される場合も多くあります。それが進むと、「騎馬民族は乗馬の跳ねるリズムに基づいた三拍子が基本で、農耕民族は土を踏みしめる動きに基づいた二拍子が基本、だから農耕民族である日本人は三拍子が苦手」といった極端な類型論に至ることさえあります。

歴史的な変遷を視野に入れると事態はさらに複雑です。かつては新奇な「外来文化」であったものが、いつのまにか自明の存在になることは珍しくありません。たとえば1970年ごろの日本では、「日本語でロックはできるか」ということが真剣に論じられていましたが、「日本(語)のロック」が当たり前のように存在している現在では、なぜそのような問いが発せられたのか想像しにくいのではないでしょうか。あるいは「下賤」の恥ずべき文化とみなされていた異種混淆的な民衆音楽が、やがて国民的・民族的表現としてきわめて高い地位を獲得するようになることもあります。アメリカ合州国のジャズやブルース、ブラジルのサンバなどがそうですし、実は日本の演歌もそうです。私が研究してきたブラジル北東部のバイーア州サルヴァドールでは、1980年代に、サンバとレゲエをミックスした「サンバ・ヘギ」(ヘギはレゲエの現地読み)という音楽が作りだされ、社会的な周縁に位置づけられていた黒人系の人々のアイデンティティの証となり、さらにローカル/ナショナル/グローバルな音楽産業や観光産業と結びつきながら、その土地を代表する真正な文化とみなされるに至っています。

つまり、問題は単に「音楽は国境を越えるか否か」とか、「ある人間集団(『文化』ないし『民族』)にとって本質的な音楽は何か」といったことではありません。「西洋と非西洋」、「伝統と近代」という二項対立も全く不十分です。ある音楽が、どのような条件のもとで、どのような人々によって、またどのような仕方で実践され、意味付けられ、経験されるか、ということに繊細な眼を向けること。そしてそれを知的かつ感覚的に感じ取ること。これが、総合大学の文学部という場で音楽を研究することの重要な意義の一つだと私は考えています。




●専門
 中東欧の音楽史、民俗音楽研究。
●略歴
 1960年京都市生まれ。大阪大学文学部、同大学院修了。日本学術振興会特別研究員、ハンガリー国立リスト音楽院客員研究員などを経て、1993年より大阪教育大学教育学部助教授。2004年より大阪大学大学院文学研究科助教授、2007年同准教授、2010年同教授。学位請求論文「バルトークによる民俗音楽調査・研究・編曲」で博士(文学)。1990年、アリオン賞(音楽評論部門)奨励賞、2009年、大阪大学教育研究功績賞を受賞。著書に『バルトーク:民謡を「発見」した辺境の作曲家』(中公新書1370、平成9年7月、第7回吉田秀和賞)、『ハイドンのエステルハージ・ソナタを読む』(春秋社、2003年)、『中東欧音楽の回路:ロマ・クレズマー・20世紀の前衛』(岩波書店、平成21年3月、第31回サントリー学芸賞、第7回木村重信民族藝術学会賞)など。編著に『ピアノはいつピアノになったか?』(大阪大学出版会、2007年)、訳書にバルトーク著『ハンガリー民謡』(間宮芳生と共訳、1995年、全音楽譜)など。朝日新聞、NHK-FMなどで解説、批評を担当。

●ひとこと

「音楽の東と西」
 私たちが現代の日本で生きていて、普通に耳にする音楽の大半はいわゆる「西洋音楽」です。ドレミファの音階とドミソの和音。テレビのCM音楽も、店先で聞こえてくるエレベータ音楽も、大学のクラブ活動の練習場から聞こえてくる音も、基本的にはこの「西洋音楽」の枠からはみ出すものではありません。もちろん、おじいさんが謡を習っているとか、トルコ料理のレストランでアルバイトしているのでトルコ音楽を耳にする、といった例外もあるでしょうが、「西洋音楽」は、この極東の島国でも、「デファクト・スタンダード」として、ある種の汎用性を持ってしまった、といえるでしょう。
 さて、ここから通常なら、日本がわざわざ西洋音楽を熱心に受容したことの是非を問い、我々の音楽文化の根無し草的空虚を憂う、といった議論が始まりそうですが、実は私は最近、あまりそういう気になりません。東欧の国々に通って調査しているうちに、音楽の東と西というものが何を指すのか、だんだんわからなくなってきているからです。
 たとえば昨年の末に出かけたのはブルガリアでした。私は最近、ブルガリアのポピュラー音楽にすっかり魅せられています。それは「チャルガ」とか「ポップフォーク」とか呼ばれる音楽で、欧米のポップミュージックの基本語彙であるドラムスとベースとシンセサイザーを基本に、そこにブルガリアの民俗音楽の色を添えたものですが、派手なビジュアルとあからさまな歌詞、そして凝ったプロモーション・ビデオなど、現代の音楽文化の縮図を見るようで興味が尽きません。
 首都ソフィアで、テレビやライブでこの「チャルガ」を堪能した後、南西部の山の中を車で数時間、リブノヴォという村へ。村といっても、人口約4千とかなり大きいものです。しかも、この村はほぼ全員がポマクと呼ばれる人々で、言葉はブルガリア語ですが、宗教はイスラム教、生活様式はかつてのブルガリアのそれを(宗教的な部分は別として)かなり保っている、と言われます。三日三晩続く結婚式の一部を取材させてもらったのですが、女性達は完璧なイスラムの装束ですが、顔だけ見ているとヨーロッパ人と区別がつきません。この人々が結婚式に呼ぶのは、デブレンという別の村に住むロマ(ジプシー)の楽師たち。編成は、3本のズルナと3人の大太鼓。ズルナというのは、チャルメラのようなダブルリード楽器です。3人の大太鼓奏者は、肩から太鼓を下げて、左右の手で両面を叩きますが、時折3人がフォーメーションを組んでぐるぐる回りだしたりして、なかなかの見物です。彼らは、結婚式の要所要所を、定式に則って様々な曲でリードしてゆきます。その音楽は、基本的にはドレミに近いのですが、ところどころで微妙に音が低かったり、不規則なリズムが現れたりして、オリエントとオクシデントの境目で揺れています。これは「西洋音楽」なのか否か。あるいは、この演奏家たちにとって、またそれを聞いているポマックの人々にとって、「西洋音楽」とは何を意味するのか。
 音楽について考える、ということを突き詰めて行くと、このように自分の世界認識の枠組みを直接揺さぶられる問題に突き当たることがあります。「音楽学」という専門分野を持つ総合大学は、日本ではとても珍しいのですが、阪大の中におかれた音楽学研究室が考えてゆくべき問題の焦点は、このあたりにあるように思っています。

教員紹介
Staff

大阪大学文学部・文学研究科
音楽学研究室

●専門
西洋音楽史、オペラ史、劇場史。
とりわけ18世紀後半から19世紀初頭のナポリの
オペラについて、楽譜、台本、興行史料から
多角的に解明しようとしています。


●所属学会
[国内]
日本音楽学会、日本演劇学会、日本イタリア古楽協会(運営委員)、日本ロッシーニ協会、日本ヘンデル協会、日本18世紀協会、地中海学会、イタリア学会

[国外]
国際音楽学会(IMS)、国際音楽資料情報協会(IAML)、イタリア音楽学会(SIdM)、サッジャトーレ・ムジカーレ(イタリア)

●学歴
H 4年4月〜H 7年3月 三田学園高等学校 普通科 卒業
H 7年4月〜H11年3月 早稲田大学教育学部 社会科社会科学専修(新聞学)卒業 [学士(社会科学)]
H11年4月〜H12年3月 大阪大学文学部 音楽学専攻 研究生 修了
H12年4月〜H14年3月 大阪大学大学院文学研究科 文化表現論専攻(音楽学)博士前期課程 修了 [修士(文学)]
H14年9月〜H16年6月 イタリア国立バーリ音楽院 実験的上級コース(記譜史)修了 [実験的上級ディプロマ(記譜史)]
H14年4月〜H18年3月 大阪大学大学院文学研究科 文化表現論専攻(音楽学)博士後期課程 単位修得退学

●職歴
H14年9月〜H21年3月 イタリア国立バーリ音楽院付属音楽研究所“カーサ・ピッチンニ”客員研究員
H16年4月〜H18年3月 日本学術振興会 特別研究員DC2(大阪大学大学院・文学研究科)
H18年4月〜H21年3月 日本学術振興会 特別研究員SPD(東京芸術大学・音楽学部)
H19年9月〜H22年3月 早稲田大学演劇博物館グローバルCOE 特別研究員
H21年4月〜H22年3月 日本学術振興会 海外特別研究員(イタリア国立バーリ音楽院付属音楽研究所)
H22年4月〜       現職

●授業
H22年度・前期 月曜4限 音楽学演習「音楽学における各種史料の扱い 」大阪大学大学院・学部共通 選択必修科目
H22年度・後期 月曜4限 音楽学演習「楽譜校訂作業の実際」大阪大学大学院・学部共通 選択必修科目

●社会活動など
・日本イタリア古楽協会Associazione della Musica Antica in Giappone (AMAIG) 運営委員
・イタリア国立「南イタリアの音楽文化発展に関する研究所(ISMEZ)」(在ローマ市)共同研究員
・ナポリ古楽研究所ピエタ・デイ・トゥルキーニ(在ナポリ市)客員研究員
・イタリア・アブルッツォ州立オーケストラOrchestra Sinfonica Abruzzese(在ペスカーラ市)アドヴァイザー
・古楽オーケストラ"Musica Fiorita"(在スイス・バーゼル市)アドヴァイザー&楽譜校訂者
・トスカーナ・オペラ・アカデミーAccademia Lirica Toscana "Domenico Cimarosa"(在コルトーナ市)学術委員

●業績、その他
個人ページをご参照ください: http://nipolitan.cocolog-nifty.com/about.html 

●ひとこと 
 今年度より新しく着任いたしました。どうぞよろしくお願いいたします。
 楽譜、視聴覚資料、そして専門的史料の読み込みは研究にとってもっとも大切なことですが、古今の社会に「通奏低音」のように流れている文化基層とでもいうべき「何か」に気づくこと、そして、「何か」の解明のために自分の個別史料を客観視し、系統的、戦略的に並べ替え、最終的には人の営みの仕組みを明らかにする「文化の公式」のようなものの提起という踏み込んだ作業が、私たちの分野においてもそろそろ求められてきているように感じています。

 このところの私の(サブ)テーマは、「大きくなりたい」という動物の根源的欲求が、「上昇志向」へと転化されながら、18-19世紀のオペラ文化においてどのように発露されているのかを個別事例から解明することですが、他の時代の音楽文化、さらには美術、文学、政治、経済、国家などの領域で、これと似たテーマをお持ちの方はぜひお力を貸していただけたらと思っています。
 ヴィーノを飲みながらやかましく喋繰っている時にこそ、何か面白いことが飛び出して来るようにも思われますので、研究室には常に良いアイデアの種(ヴィーノ?)を切らさないよう、備品・アメニティにも気を配っていきたいと思っています。楽しく、そして楽しい研究をしてゆきましょう。

左が伊東。右は作曲家の三輪眞弘氏。
2009年10月、日本音楽学会会場にて撮影。

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教授 伊東信宏
Nobuhiro ITO - Professor
准教授 輪島裕介
Yusuke-WAJIMA - Associate Professor
助教 山田高誌
Takashi YAMADA - Assistant professor