オーストラリア辞典
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Adelaide River

アデレイド・リヴァー


ノーザンテリトリー北西部、ダーウィンの南110キロに位置する。
人口:279(1996)、62(1947)、159(1961)。


 1839年ビーグル号のジョン・ロート・ストークスがこの地域を調査し、ウィリアム4世の妻のアデレイド女王にちなんで、川の名を命名した。同名の町は、同じ名前の川がスチュアート・ハイウェイと交差する場所に位置する。川はダーウィン東方を北上し、アダム・ベイAdam Bayで海へ到達する。最初は大陸縦断電信線建設の労働者が住みつき、パイン・クリークの金鉱への中継地として発展した。1879年に警察所が設けられた。1888年にはダーウィンからの鉄道が開通し、翌年川に橋が架けられた。地域では1881年から86年にかけてゴム・砂糖及びコーヒーを育てる試みがなされた。1896年に米、砂糖及びインディゴのための大規模な灌漑計画が立てられたが、実施されなかった。第2次世界大戦中町には、司令部が置かれ、日本軍によって爆撃された。その後町は衰退し、1976年鉄道は廃線となった。駅は現在博物館となっている。アデレイド・リヴァー平原でハンプティー・ドゥーHumpty Dooプロジェクトが行われ、米の大規模生産が試みられたが、完全な失敗に終わった。オーストラリア本土で唯一の戦争墓地があり、北部オーストラリアで殺された432人の軍人と63人の民間人がここに葬られている。

 美谷吉孝・藤川隆男1202