オーストラリア辞典
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Ararat

アララト


ヴィクトリア中西部、メルボルンの西203キロに位置する。
人口:6,890(1996)、7,632(1991)、8,336(1981)、7,419(1954)、4,914(1933)、5,402(1911)、2,740(1881)、1,476(1861)。


 聖書にあるアララト山に地名は由来する。白人の入植以前はDjadjawurungのアボリジナルの居住地であった。トマス・ミッチェルがこの地域を1836年に探検し、1839年から入植が始まった。1854年に町から西に約6キロの位置にあるピンキー・ポイントで金が発見され、ゴールド・ラッシュが始まった。1857年に南オーストラリアから来た中国人が豊かな金資源のある地層Canton Leadを発見し、多くの鉱夫たちが金を採掘した。町の人口は20,000人に達したが、金が堀り尽くされるとその人口は減少した。後に牧羊の中心地になった。また、1863年にこの地域で最初のブドウの木がフランス人入植者により植えられた。最初の町の新聞が1857年に発行された。1858年に測量が開始され、同年にバラになった。病院や技術学校(1859年)、刑務所や郵便局(1861)、公立学校(1867)や鉄道(1875)が建設された。水道も1876年に整備された。20世紀には行政の中心地として発展した。1900年からは周囲の地域で金の採掘が再び活発化し、人口も増加するようになった。1934年タウンに、1950年に市となる。現在は小麦、ワイン、羊毛などを生産する農業地域のサーヴィス・センターになっている。

 藤川隆男1202