オーストラリア辞典
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Bank of New South Wales

ニューサウスウェールズ銀行、バンク・オヴ・ニューサウスウェールズ


 資本金1,425ポンドで設立されたオーストラリアの初の公的金融機関。1817年にシドニーのマクウォリー・プレイスで営業を始めた。建物は有名な女性実業家ライビー夫人が所有していた。この銀行がサーヴィスを始めることは、マクウォリー総督の希望でもあった。マクウォリーは通貨の安定をはかり、植民地の発展を促進しようとした。発足当初銀行は、ジョン・マッカーサーらのイクスクルーシヴズなどの、植民地のいろいろな勢力から非難を浴び、また植民地を統轄するイギリス本国もその運営を懐疑的な目で見ていた。しかし初期における様々な困難を乗り越えて、預金、手形の交換、輸出の決済、貸し付けなどの業務が徐々に軌道に乗っていった。

 1820年代に最初の試練がおこる。株主たちは低い配当に甘んじざるを得ず、オーストラリア銀行などの同業者との競争を強いられることになる。しかし、この銀行は徐々に成長をとげていった。1830年代から40年代における羊毛貿易の隆盛に便乗し、その成功を決定的なものにした。1850年代には銀行の構造を改良した。ゴールドラッシュ後の産業の拡大と多様化は、銀行に新しい商業的利益をもたらし、支店をおくまでに銀行は成長した。最初の支店はブリスベンにおかれ(1850)、ロンドン(1853)、西オーストラリア(1854)、ニュージーランド(1861)と次々に拡大した。このような拡大の中で銀行は、1860年に資本金3,000,000ポンドを有するようになっていた。1890年代の不況において、オーストラリアの多くの銀行が消滅するなかでも、堅実な経営を続けていた。この時期にはオーストラリア最大の銀行となっており、その後も他の金融機関を吸収し、成長した。1930年代の大恐慌においては、他の銀行に先駆けて英ポンドとの交換比率を変更し、その結果政府はオーストラリア・ポンドの切り下げを実施した。また、第2次世界大戦後の銀行国有化の提案には最も強力に反対した。その後名称はウェストパックとなったが、現在も主要な銀行の1つとして存在している。

 師井学00