オーストラリア辞典
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Benalla

ベナラ


ヴィクトリア中北部、メルボルンの北東196キロに位置する。
人口:8,582(1996)、8,151(1981)、4,949(1947)、2,509(1891)、297(1854)。


 地名は「大きな水源」というアボリジナルの言葉に由来するとされる。1848年の測量の時初めて公式にこの地名が使われた。それ以前はブロークン・リヴァーBroken Riverとして知られていた。ヨーロッパ人の入植以前は、ヨタ・ヨタのアボリジナルの居住地であった。1824年にヒュームとボウエルがこの地を訪れ、1836年にトマス・ミッチェルがここを通過した。1838年、ジョージ・フェイスフルと11人の羊飼いが、アボリジナルに殺されるというフェイスフル虐殺がおこる。これに対する報復で100人以上のアボリジナルが殺されたといわれている。1839年に境界警察隊のキャンプが現在の町の場所に置かれ、ブロークン・リヴァー・クロッシング・プレイスと呼ばれるようになった。1848年、タウンの測量が行われ、1850年代には郵便局や裁判所を加えて、学校やホテル、カトリック教会などがオープンした。1861年にタウンとして公示され、アングリカン教会やプレスビタリアン教会、銀行などが建てられた。1860年代に金が採掘され、1904年まで断続的に行われた。1864年、新しい裁判所が建設され、1960年代まで使われた。1877年のネッド・ケリーが飲酒のため2ポンドの罰金が課せられた裁判を含め、ケリー一家にかかわる裁判がここで行われた。1873年、鉄道が開通する。1878年、モイラ・ハウス(現ベナラ・メンズ・クラブ)が建てられた。自作農への土地の販売が行われ、1883年には最後の牧場も分割された。この年シドニーと鉄道で結ばれ、シドニー・メルボルン間の鉄道の中継地点として、町は重要性を増すことになった。1887年に大規模な公園が建設された。1888年にはガスが供給されるようになった。第2次世界大戦時には空軍キャンプとして使われた。飛行場は1948年、ヴィクトリアのグライダーの拠点となった。1948年、バラとなり、1965年にはシティーとなった。             

 中西雅子00