オーストラリア辞典
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Bloody Friday

流血の金曜日


 この名称は、1931年6月19日の金曜日に付けられたものである。この日、シドニーのニュータウンのある家の立ちのきをめぐって、警察官と立退き反対者との間で衝突が起こり、流血沙汰となった。世界恐慌のさなか、家賃を払うことのできない多くの借家人たちが、立ちのきを家主から要求されていたが、共産主義者が指導する失業者運動Unemployed Workers' Movementはそのような立ちのき要求に抵抗した。ラング労働党政府に指示された警察は、失業者運動を取り締まろうと試みた。そして、6月19日の朝におよそ40人の警察官が、ニュータウンのユニオン・ストリート143番地の立ちのき命令を強制しようとした。それに対して、約18人の立ちのきに反対する人々が抵抗を試みた。警察側は銃で武装していたが、反対者側はレンガや鉄のパイプなど、間に合わせの武器しか持っていなかった。この時、数千人いたとされる多くの群衆が、その後起こった衝突を見ていた。ついには警察側が反対者側を圧倒した。14人の立ちのき反対者と13人の警察官が負傷し、中には頭蓋骨を骨折する重傷を負うものもいた。夕方にはレールウェイ・スクエアで立ちのき反対者によるデモが行われた。この日、流血の金曜日に逮捕された者は20人以上に上った。

 中村武司00