オーストラリア辞典
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Blue Mountains

ブルー・マウンテンズ


ニューサウスウェールズ中東部、シドニーの西に位置する山岳地帯及びシティ。
人口:63,866(1986)、55,877(1981)、28,119(1961)。


 名前は、遠方から見たときの、その特徴的な山の色に由来する。1788年4月総督フィリップの探検隊は、その北部をカーマーセン・ヒルズCarmarthen Hills、その南部をランズダウン・ヒルズLansdowne Hillsと呼んだ。しかし、一般に流布していた名称ブルー・マウンテンズが呼び名として定着していった。1789年ワトキン・テンチは、ふもとのペンリスに到着した。ブルーマウンテンズは、植民地発展の大きな障害であると考えられており、多くの探検家たち、ウィリアム・ドーズ、ウィリアム・パターソン、ジョージ・バス、フランシス・バラリエなどがブルー・マウンテンズ越えを目指すが、これを果たせなかった。ようやく1813年に、グレゴリー・ブラックスランド、ウィリアム・ウェントワース、ウィリアム・ローソンがハートリーのレット川に到着し、現実的な山越えのルートを初めて開拓した。6カ月後ジョージ・エヴァンズがさらにルートの開拓を進め、1815年ウィリアム・コックスが囚人労働を用いて、このルート上に道路を建設した。1816年から1817年、軍の砦がスプリングウッドに設けられた。1832年ヴィクトリア・パス道路が建設された。1823年にアーチボルド・ベルがベルズ・ラインとして知られる北のルートを発見し、1868年に道路が建設された。1832年から1833年に建設されたラップストン・ブリッジは、本土に現存する最古の橋である。1849年マウント・ヴィクトリア料金所が設けられた。

 1867年にウェントワース・フォール、1868年にマウント・ヴィクトリアまで鉄道が開通し、1869年に山越えの鉄道が開通した。ラップストン・ジグザグ鉄道(1867-1913年)、グレイト・ジグザグ鉄道(1869-1910年)がこれを可能にした。現在も観光用にこの種の鉄道が残る。鉄道開通後、ブラックヒースBlackHeath(人口4,119(1996))は発展した。この地域の入植は1815年に始まった。1912年から1914年にかけてブルー・マウンテンズの大部分を調査したマイルズ・ダンフィーMiles Dunphyは、ブルー・マウンテンズの保護の必要性を訴えた。1932年になってブルー・ガム・フォレストが保護され、1959年に初めて国立公園に指定された。1947年、ブルー・マウンテンズのシティが公示された。第2次世界大戦後はとりわけ、シドニーの住宅地や週末のリゾート地として著しく発展している。1977年にはさらに広大な土地が国立公園の指定を受けた。しかし、多くのブッシュファイアーがここでは起こっている。1993年の火事では森の多くが消失し、その煙はシドニーの都心を覆った。多くの町や観光地がシティに含まれている。例えば、カトゥーンバ、ウェントワース・フォールズWentworth Falls、ルアラLeura、ブラックヒースなどがある。

 藤川隆男0403