オーストラリア辞典
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Bourke

バーク


ニューサウスウェールズ北西の町、シドニーの北西783キロに位置する。
人口:2,775(1996)、3,326(1981)、1,571(1911)、318(1871)。


 探検家トマス・ミッチェルが当時のニューサウスウェールズ総督リチャード・バークにちなんで、バーク砦と名づけた。ヨーロッパ人による入植以前は先住民Barranbinyaの居住地であった。チャールズ・スタートが1828年から1829年にかけて、この地域を探検した。 1835年、ミッチェルはアボリジナルに対する砦柵として、バーク砦Fort Bourkeを建てる。バーク砦自体は放棄されたが、入植は徐々に進んだ。1862年、タウンとなり、翌年、土地が売り出される。1859年にキャプテン・ランデルにより、ダーリング川の航路が開拓されて以来、ダーリング川上流の中心的な町となり、1870年代から1890年代にかけて河港としてさかえた。1868年、最初の地方紙『セントラル・オーストラリアン』が刊行される。1873年、牢獄が建設され、1909年に閉鎖されるが、1914年から1918年の間ドイツ人の抑留キャンプとして使われた。1878年、カララ・ステーションで、オーストラリアで初めて掘り抜き井戸がつくられ、水が発見された。同年、自治体となる。 1906年タウンの財政破綻の後、1910年郡に併合される。 1885年、鉄道が開通したため河川交通が衰退し、1931年に商業目的の河川の利用は終末を迎えた。1942年、大規模なアメリカの飛行場が建設され、大戦中、郊外で軍事活動が行われた。

 この地域の主要産物は羊毛であり、1950年代初期、羊毛価格の上昇により、人口が増加した。川からの灌漑による綿花、柑橘類の栽培もさかんである。現在の町は悲しい様相を呈している。多くの商店には鉄格子や鉄柵がはめられ、休日には巡回するパトカーの姿だけが目につく。アボリジナルへの恐れが町を支配しているように見える。 “Back of Bourke”という表現はオーストラリアで広く用いられている。

 中西雅子00