オーストラリア辞典
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Channel Country

チャネル・カントリー


クィーンズランド南西部、ブリスベンの西1,000キロ以上に位置する乾燥地帯。


 ジョージーナ川Georgina、ダイマンティーナ川Diamantina、クーパー・クリークCooper Creek、バークー川Barcooやその他の河川の流域をさす。名前の由来は、そうした河川とその支流が無数に錯綜していることによる。バークー川は、1846年にトマス・ミッチェルによって探索されている。ミッチェルは、当時ヴィクトリア川と命名している。1847年に、エドマンド・ケネディEdmund Kennedyが派遣され、クーパー・クリーク上流に通じていることを発見。名前も、ヴィクトリア川ではなくバークーというアボリジナルの名称に変更している。ミッチェルはまた、トムソン川を植民地長官E.D.トムソンにちなみ命名している。1861-62年に、エニスキレンEniskillenに最初のヨーロッパ人の居住地が、J.T.アレンにより建設されている。ダイマンティーナ川は、1862年にジョン・マッキンリーにより探検され、ミューラ川Muellerと命名されている。当時マッキンレーは、バークとウィルズを探索中であった。その後、初代クィーズランド総督ジョージ・ボウエンの妻にちなみ、ダイマンティーナ川に改称された。1860-70年代に、この地域の多くの土地が牧牛のために利用されるようになった。デュラック家はそのような入植者であった。入植の進展とともにアボリジナルとの衝突も起こった。1890年代の経済危機と旱魃の後の20世紀初頭には、土地の集中が進み、シドニー・キッドマンが南西クィーンズランドの4分の3を占有するようになった。

 三木一太朗・藤川隆男0103