オーストラリア辞典
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Communist Party Dissolution Referendum

共産党解散の是非に関する国民投票


1950年代に、東西対立を背景に共産主義政党の禁止の是非を巡って行われた国民投票。


 共産主義との対決を公約に登場したメンジーズ連立政権は、共産主義政党を禁止に追いやるために様々な手段を講じようとしていた。1950年10月、大論戦の末に共産主義政党を禁止する法律が可決された。しかし、共産党や労働組合が最高裁判所に訴えた結果、法律は憲法が規定する政府の権限の範囲を超えるものであるという理由で無効との判決が下された。裁判所の判決を受けてメンジーズ政権は、替わりの手段を試みることになる。1951年6月、各州の首相に対して出された、連邦への権限委任による法律の成立を求める請求が失敗に終わると、直接国民に訴えるべく国民投票の実施を発表した。具体的には、共産主義者に対処するための権限を規定した憲法第51条の修正の是非をめぐるものであった。国民投票をめぐって展開された運動は、様々な思惑が絡み合い、陰惨なものであった。野党労働党の党首H.V.エヴァットなどは、市民の自由が侵害されるとして、共産主義政党の禁止に反対の立場をとっていた。ニューサウスウェールズ州やヴィクトリア州、南オーストラリア州などの人口の多い州では、反対票のほうが多く、それ以外の州では賛成票が多かった。結果は、反対票が賛成票をわずかに上回り(52,082票差)、共産党を禁止する法律はかろうじて否決された。

 三木一太朗00