オーストラリア辞典
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Constitution Act of 1842

1842年の国制法


 この法律によって、ニューサウスウェールズでは代議制政府が発足した。イギリス本国における選挙権の拡大やエマンシピストの要求がその背景にあった。またニューサウスウェールズへの流刑は、その直前に廃止されていた。

 この法律は、立法議会の定員を36人に拡大し、そのうち24名を選挙による選出、残り12名は総督が任命するものとした。参政権は、最低200ポンドの価値がある自由土地保有権を持つ人、または1年当たり20ポンドの価値のある家に住む人たちに限られた。被選挙権は、少なくとも2,000ポンドの自由土地保有権、または1年当たり100ポンドの価値のある家に住む人々に制限された。その法律は地方に有利な選挙の区割りを行った。メルボルンは1人、シドニーは2人しか議員を選出できなかった。ポートフィリップ地区は5人の議員を選出し、残りはニューサウスウェールズから選ばれた。

 法律は、代議立法機関を設立したが、同時に総督の権力の保持、総督を急進的な議会から保護する規定を設けていた。裁判官や植民地長官を含む重要な役人の給与は議会の同意なしに支給することが可能であった。さらに、土地に関する立法は植民地議会の権限に含まれなかった。この種の制限は植民地の急進的な勢力の批判の的となり、地方自治体を設け、それに警察費用を負担させるという条項は、入植者たちの強い批判を生み、実行することさえ困難であった。

 1843年の最初の選挙に続いて、議会は前植民地長官のアレクサンダー・マクレイを議長に選出した。その後総督は議会に出席しなくなった。1843年に選ばれた議員の中には、W.C.ウェントワース、ウィリアム・ブランド、チャールズ・ニコルソン、弁護士のロジャー・テリーRoger Therryがいた。この法律は囚人がまだ輸送されていたという理由で、タスマニアには適用されなかった。

 見国祐也00