オーストラリア辞典
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Cook, Joseph

クック、ジョゼフ


1860-1947
スタフォードシア、イングランド生まれ。
政治家、連邦首相(1913-14)


 保守的政治家としてオーストラリア海軍の創設に尽力し、連邦首相のほか、駐英高等弁務官など要職を歴任した。1918年にはナイトに叙せられた。

 クックは、1860年、イングランド中部の町スタフォードシアの炭鉱労働者の家に生まれたが、早くに父を亡くし、窮乏した一家を支えるため10歳から炭坑で働いた。熱烈なメソジストで、生真面目で融通の利かない性格であったが、その巧みな弁舌からしだいに労働組合で頭角を現した。

 1885年にオーストラリアのニューサウスウェールズ植民地に移住し、炭坑で働きつつも、速記と簿記を修得した。この時期のクックは、ニューサウスウェールズで支配的であった自由貿易の信奉者だった。1891年から1901年まで、ニューサウスウェールズの下院議員をつとめたが、労働党の「コーカス」に反発して党を去り、これが彼を徐々に保守派に転向させる契機となった。

 1901年には、連邦下院議員に当選し、1908年に自由貿易派の代表となるが、保守合同によってディーキン内閣に国防相として入閣した。議会では常に反労働党の立場で活動し、社会主義とは一線を画する労働者の生活向上をその信条とした。1913年、下院で労働党を破って連邦首相となったが、上院で過半数をとれず、政権基盤は不安定であった。政府の雇用において労働組合員に優先権を与えることを廃止する法案が上院で2度否決されたのを受け、翌年には上下両院が同時解散し、労働党に敗れた。イギリスへの忠誠から、第1次世界大戦中は戦時体制に協力し、ヒューズ首相が労働党を追放された後は連立政権を組んだ。下院議員を辞職したクックは、1921年から27年まで駐英高等弁務官となり、1929年に政界を引退した。

 労働者出身ながら、クックは保守的な政治姿勢をとり続け、貿易政策も自由貿易主義から保護貿易主義に転換したことから、機会主義者との非難も受けたが、一方で、少年時代の経験から生まれた、家族や社会への責任ある行動と、変転する情勢への機敏な対応という意味では、一貫した政治活動を行った。

 酒井一臣00