オーストラリア辞典
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Davis, Arthur Hoey

デイヴィス、アーサー・ホウイ


1868-1935
ドレイトン、クィーンズランド生まれ。
作家。


 1868年11月14日、クィーンズランドのドレイトンに生まれる。父親は、鍛冶屋であるとともに、土地の自由選択購入によって小規模に農業を行っていた、いわゆるセレクターであった。

 1885年から1904年まで、ブリスベンで公務員として働いた。ブリスベンの地方紙に風刺文を寄稿するようになったが、この時使用したペンネーム「スティール・ラダー」Steele Rudderが後に短くなって、広く一般に知られているペンネーム「スティール・ラッド」Steele Ruddになった。

 1895年以後、雑誌『ブレティン』に短編を載せるようになった。彼の書く短編は、ラッド一家の滑稽な出来事を描いたものであり、彼の作品集の中で特に優れたものとされる1899年のOn Our Selectionや1903年のOur New Selectionで絶頂を迎えた。彼は24冊の作品を書き、舞台化や映像化が数多くなされた。

 1903年から1907年の間、雑誌『スティール・ラッズ・マガジン』を出版した。恒常的な公務員の収入の喪失と新しい事業の開始は、妻のヴァイオレットの精神状態を不安定にした。雑誌が失敗した後、安定した生活を望む妻の要求で、1909年から1917年まで農業を営んだ。ソンムで息子が負傷すると、妻の精神状態は悪化し、ブリスベンで治療を受けるが回復せず、1919年に精神病院に入院し、1952年にそこで生涯を終えた。その後、デイヴィスは再び雑誌『スティール・ラッズ・アニュアル』を創刊し、様々に名称を変えて1927年まで出版した。彼の本が莫大な売上を記録する一方で、そこから得られる印税収入は少なく、1935年に亡くなるまで常に金銭的な困難に直面していた。

 彼の作品は、セレクターの厳しい生活を皮肉とユーモアとをもって描いたものであり、スティール・ラッドは有名なキャラクターとなった。

 渡部滋之0601