オーストラリア辞典
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Democratic Labor Party (DLP)

民主労働党


 1950年代半ばにオーストラリア労働党の反共右派が離脱して作った少数政党。

 当時、労働党内には反共右派のグループが存在し、労働組合への共産主義の浸透を防ごうとするインダストリアル・グループや、カトリック・アクション(ムーヴメントと呼ばれた)を支持していた。1955年に労働党党首のH.V.エヴァットが、その反共右派を攻撃すると党は分裂し、離脱したグループが1957年に結成したのが民主労働党である。民主党が結成された年に、クィーンズランド首相のヴィンセント・ゲアVincent Gairも労働党から追放され、後に彼が率いるクィーンズランド労働党も民主労働党に合流した。民主労働党は、カトリック・アクションの活動家B.A.サンタマリアや、そのパトロンであるダニエル・マニックス大司教が、大きな影響力を行使していたヴィクトリア州において強い力を有していた。1950年代と60年代を通じて民主労働党は、自由党・地方党連合に味方することによって、労働党を政権から遠ざけることに成功するなど、政界の中でのキャスティング・ヴォウトを握っていた。1970年には、比例代表制によって、民主労働党は5議席を獲得していた。しかし、反共主義というイデオロギー的問題へのこだわりのために、広範な支持を集めることができず、また、カトリックに支持基盤を持ちながらも、その絶対的な支持を取りつけることには成功していなかった。そのため、ホイットラム率いる労働党政権が、カトリック系学校に対する政府からの資金援助を行うと、カトリック票は労働党へ流れ込み、1974年の選挙で民主労働党は5議席すべてを失った。その結果、1978年の党の評議会で解散を決議された。しかし、その後すぐに再結成され、候補者を立てるなど活動を続けたが、数年後には自然にその活動は終息していった。

 三木一太朗・藤川隆男0303