オーストラリア辞典
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Eight-hour day movement

8時間労働運動


 19世紀に起こった労働時間短縮運動。労働組合員は1週間の労働時間を60時間から48時間に短縮することを求める運動に参加した。1855年にシドニーの石工が最初に8時間労働を勝ち取り、さらにメルボルンの建設労働者の多くが1日8時間労働制を勝ち取った。シドニーで最初に8時間労働が認められたとしても、それが社会的に広く認知されたのはメルボルンが最初であった。このメルボルンの動きがヴィクトリア植民地の他の地域や、他の植民地にも広がり、多くの組合が8時間労働を求めるために結成された。8時間労働獲得を祝う祝典が毎年メルボルンで行われるようになり、のちに他の地域にも広がった。法定最大労働時間1日8時間の要求は、1879年から1891年にかけて、植民地間労働組合会議の要求のひとつになり、1890年代には初期労働党の綱領の主要項目であった。前進と後退を繰り返しながら、19世紀の終わりまでに、多くのオーストラリアの労働者が8時間労働を勝ち取った。しかし、女性労働者の多くをしめる家事奉公人や商店の店員など弱い立場にある労働者は、長時間労働を強いられていた。現在、オーストラリアの全州、ACT、ノーザンテリトリーが、毎年この運動を記念して、Eight-Hour DayやLabour Dayを設けている(ノーザンテリトリーはメイ・デイ)。

 山口典子00