オーストラリア辞典
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Financial Agreement

財政協定


 第1次世界大戦後のオーストラリア連邦政府の財政状態は、関税収入の増加により健全な状態を維持していた。しかし、州の財政状況は非常に深刻な事態を迎えていた。州は、連邦政府から住民1人あたり25シリングの財政援助を受けていたが、それはインフレの亢進により実質的な価値を減じていた。また、州による課税権は、連邦政府が所得税の課税権を有していたため、制限されていた。さらに、州政府の誤った公債政策などによって、債務負担が非常に増大していた。これらにより、州財政は破綻寸前まで追いこまれていた。 こうした状況を打破するには、州債務と将来の借り入れを包括した解決案が必要になった。当時、連邦政府も州政府も金融市場において不利な立場に立たされており、ロンドン市場での起債に失敗し、ニューヨーク市場で悪条件のもとで借入れをおこなわざるを得なくなっていた。

 そこで連邦首相ブルースは、6つの州の首相をメルボルンに召集し、1927年6月16日より会議を開いて連邦と州の財政上の関係を議論した。彼は植民地首相たちに以下のような案を提出した。連邦が州の全債務を肩代わりし、全債務が償還されるまで、1926年から1927年にかけて連邦政府から州政府へ支払われた財政補助金と同額を、それらの債務の利払いに充当するため、毎年、固定額を支払うこと。また、連邦政府は、債務償還のために、減債基金を創設すること。その額は、100ポンドの債務に対し2シリング6ペンスであり、債務が償還されるまで継続して支払われること。債務評議会Loan Councilを創設し、連邦政府と州政府による公債計画において大幅な権限をもつ明確な地位を同評議会に与えること。当時の債務の償還を調整し、ロンドン資本市場において連邦政府と州政府とが借り入れ金をめぐり競争する事態をさけることにより、起債条件を向上させ、利払い・償還用の支出を削減すること。

 これらの案は、連邦からの財政補助金が打ちきられることによって不利を被る、ニューサウスウェールズからの反対を受けた。ニューサウスウェールズ首相ラングは、州が連邦に従属しかねないことを恐れ、ニューサウスウェールズが債務評議会に参加することを拒否した。それに対し、タスマニア首相のジョゼフ・ライオンズは、財政の実務家であることもあって、ブルース案に積極的に賛成した。結局、連邦政府の脅しもあって、首相会議はブルースの草案を修正し、連邦憲法105条の修正案に同意した。それは以下の通りである。

105条

(1) 連邦と州の間でなされ、またはなされる予定のいかなる合意事項についても、これを実行し効力を与えるために、連邦議会は州の公債に関する法を制定する。それには以下の諸事項が含まれる。

 (A)上記の州の債務を連邦政府が引き継ぐこと。

 (B)上記の州の債務の管理。

 (C)上記の州の債務に関する利払いおよび減債基金の用意と管理。

 (D)上記の州の債務の統合、更新、借り換え、償還。

 (E)連邦政府により引き継がれる債務について州が連邦を保証すること。      

 (F)州による借り入れ、もしくは州のための連邦による借り入れ。      

(2) この条項で付与された権限は、本憲法105条の規定によっていかなる方法によっても制限されていると解してはならない。

 1927年7月1日より、オーストラリア連邦および植民地によるすべての借り入れは、債務評議会の決定に従って、連邦によって行なわれることになった。その後、1928年の国民投票で、この案はオーストラリア国民によって承認された。これを受けて、1928年にオーストラリア連邦憲法は正式に修正された。

 長期的な視点でみた場合、この憲法修正で創設された債務評議会のもっとも重要な点は、オーストラリアのすべての政府の借り入れ総額に対して、同評議会が制限を加える権限を得たことにある。ただし、同評議会を創設した時点の主たる目的は、借り入れ総額の制限というよりむしろ、公債政策を調整して、市場において州政府や連邦政府間での競争を終わらせることにあった。いずれにせよ、この協定によって、州政府から連邦政府への権限譲渡が促進された。

 坂本優一郎00