オーストラリア辞典
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Freeman, Cathy

フリーマン、キャシー


1973-
マカイ、クィーンズランド生まれ。
アボリジナルの陸上選手。


 1997年と1999年の世界陸上400メートル走、および1994年コモンウェルス・ゲイムズ200メートル走・400メートル走で優勝したアボリジナルの女性スプリンター。シドニー・オリンピックのオーストラリア代表でもある。多文化主義の象徴として、最後の聖火ランナーに選ばれ、競技でも金メダリストになった。

 1973年にクィーンズランド州のマカイで生まれる。16歳の時、コモンウェルス・ゲイムズ4×100メートル・リレーで金メダルを獲得。1990年にヤング・オーストラリアン・オヴ・ザ・イヤーを、1991年にアボリジナル・アスリート・オヴ・ザ・イヤーを受賞。1992年バルセロナ・オリンピックでは、アボリジナルの陸上競技選手としては史上初めて、オーストラリア代表に選ばれた。1994年にカナダで開かれたコモンウェルス・ゲイムズにおいて、200メートル走と400メートル走で優勝し、一躍有名になる。1996年アトランタ・オリンピックでは、400メートル走で銀メダルを獲得。そして、1997年にアテネで開かれた世界陸上選手権大会において、400メートル走で優勝し、オーストラリア人女性最初(オーストラリア人としては2人目)の大会金メダリストとなる。同年、オーストラリアン・オヴ・ザ・イヤーに選ばれる。1999年世界陸上選手権大会において、再び400メートル走で優勝する。ベスト・レコードは、1996年オリンピック400メートル走で出した48.63秒。

 1994年コモンウェルス・ゲイムズ400メートル走で優勝した際、あらかじめ用意していたアボリジナル旗を持ってトラックを1周した。これは、人種が混合したスポーツにおいて勝利を収めることで、アボリジナルが、自らのアイデンティティや差別の問題を、白人の観衆や視聴者に強く訴えようとする表現手段の1つといえる。ただし、観客から渡されたオーストラリア国旗も同時に持って1周しており、ここに、アボリジナルとオーストラリアの白人との和解、アボリジナリティとオーストラリアのナショナリティとの融和を看て取ることも可能である。事実、同大会200メートル走で優勝した際にも、再びアボリジナル旗と国旗を持って走っている。また、フリーマンの場合、差別の問題は人種とジェンダーの2重の意味を持っていることを考える必要がある。この事件を契機として、アボリジナル旗はオーストラリア国旗法が公認する旗の1つとなった。

 宮崎章・藤川隆男0303

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