オーストラリア辞典
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Goulburn

ゴールバーン


ニューサウスウェールズ南東部、シドニーの南東194キロキャンベラから北東に自動車で約1時間に位置する。
人口:21,293(1996)、20,544(1961)、10,187(1911)、3,241(1861)、655(1841)。


 ゴールバーン平原は、植民地担当大臣ヘンリー・ゴールバーンにちなんで名づけられた。白人による入植以前は、先住民GundungurraあるいはNgunawalの居住地であった。1814年のハミルトン・ヒュームの探検隊が、この地域へのヨーロッパ人の到来の始まりである。1820年にマクウォリー総督がここを通過し、入植者がこれに続いた。1828年にニューサウスウェールズの退役兵士の入植地として町は計画された。1832年にインと雑貨店がオープンした。しかし、翌年、町はより高地に移された。1830年から1836年シドニーとの道路が、トマス・ミッチェルによって測量され、1836年にゴールバーン醸造所が1839年にヴィクトリア・インが建設され、翌年学校がオープンした。また、旧裁判所が、1849年に建てられた。牧羊業の拡大とともに発展し、ブレイドウッドなどでの金の発見でますます栄えた。1848年には『ゴールバーン・ヘラルド』が創刊されたが、これはオーストラリアで最も古い地方紙の1つである。

 1859年自治体となり、1864年にビショップの管区となった(1851)という理由でシティに昇格した。この理由でシティになったのは、大英帝国で最後である。1867年、ベルモア公園が確保され、1869年に鉄道が開通。1875年まではシドニーからのびる鉄道の南の終点であった。1879年ガスの供給が始まり、1880年から1881年に郵便局が建設された。さらに、1883年には水道のポンプ場がオープンした。新裁判所(1887年)、タウン・ホール(1889年)が建築された。協同組合の乳製品製造工場は1901年に、紡糸工場が1922年に操業を始めた。1930年には羊毛の競売市場として重要な位置を占めるようになった。1951年には町外れに精肉工場がオープンした。

 オーストラリア最初の内陸のシティであり、現在も牧羊業のセンターとして栄えている。「バラの町」として知られ、ヴィクトリア公園のバラ園は有名である。しかし、観光客にとってこの町を最も特徴づけるのは、ビッグ・メリノと呼ばれる巨大な羊型の建物である。ここは人気の高い観光スポットになっている。町の中心部のベルモア公園も落ち着いた場所であり、ここに自動車を止めて、散策するのもよい。1830年代から警察活動の中心でもあり、現在もポリス・アカデミーが存在する。

 藤川隆男0203