オーストラリア辞典
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High Court of Australia

オーストラリア最高裁判所、連邦最高裁判所


 憲法第71条により、1903年に設立された。憲法審査、司法上の訴訟を扱い、連邦・州裁判所の最終審である。しかし、1975年まで一部の訴訟はロンドンの枢密院に送られる場合もあった。また州の枢密院への上訴権がなくなったのは、1980年代である。初めは判事3人で構成され、長官はサミュエル・グリフィス、他はエドモンド・バートンとリチャード・エドワード・オウコナR.E.O'Connorであった。1906(1907)年に5人、1913年には現在と同じ7人に増員された。全員連邦政府により任命される。所在地は当初メルボルンであったが、1973年にシドニーへ、1980年にキャンベラへ移動した。

 最高裁判所の憲法解釈は、連邦・州関係を左右した。その解釈は時代により変化してきた。1920年頃まで、裁決は連邦権限に制限的な解釈に基づいてきたが、国家の強力な権限が求められた第2次世界大戦後の1921年のエンジニア判決の判断では、連邦権限の拡大を認めた。1940年代半ばになると、最高裁判所は連邦に対し、やや厳格な見解に立った。1970年頃から、裁決は再び連邦支持へと変わる。最高裁判所の判断で最も論争の多いものは、様々な解釈の余地がある憲法第92条をめぐるものであった。その条項は、州間の完全に自由な交易を要求するものであり、これを根拠として第2次世界大戦後の労働党による産業国有化政策が競争を阻害するという理由で妨害された。最高裁判所による連邦・州関係の変化は、Leslie Zines, The High Court and Constitution(1981年)とBrian Galligan, Politics of the High Court(1987年)に詳しい。1976年にオーストラリア連邦裁判所Federal Court of Australiaが設立されて、権限の一部が委譲された。

 歴代長官  

サミュエル・グリフィス Sir Samuel Griffith (1903-1919)

エイドリアン・ノックス Sir Adrian Knox (1919-1930)

アイザック・アイザックス Sir Isaac Isaacs (1930-1931)

フランク・ギャバン・ダフィー Sir Frank Gavan Duffy (1931-1935)

ジョン・レイサム Sir John Latham (1935-1952)

オーウェン・ディクソン Sir Owen Dixon (1952-1964)

ガーフィールド・バーウィック Sir Garfield Barwick (1964-1981)

ハリー・ギブズ Sir Harry Gibbs (1981-1987)

アンソニー・フランク・メイソン Sir Anthony Mason (1987-1995)

ジェラード・ブレナン Sir Gerard Brennan (1995-1998)

アンソニー・マリー・グリーソン Anthony Murray Gleeson (1998-)

 中西雅子・藤川隆男0103

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