オーストラリア辞典
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Hill End

ヒル・エンド


ニューサウスウェールズ中東部、シドニーの北西275キロに位置する。
人口:約100(1996)、129(1966)、464(1911)、1,223(1881)、716(1871) 。


 1860年代まではボールド・ヒルBald Hillとして知られる。もとはウィラージューリーの先住民の居住地であったが、1818年にジョン・オクスリーが付近一帯を探検。 1820から1830年代にヨーロッパ人が入植した。 1851年にボールド・ヒルで金が発見され、採掘場の周りにテント町が形成された。 1853年までには、タンバルーラTambaroora採金地も賑わいを見せた。ここでは、1856年にアルファ採掘会社により最初の金砕鉱機が据えけられ、タンバルーラの人口は1860年代に2,000人に達した。

 1850年から1860年代には主に砂金が採取された。全採掘量は21,800キログラムで、ニューサウスウェールズ第2の産出を誇る。1851年頃ライジング・サン・インが建てられる。1860年に町の旧地区の測量が行われ、公示されたが、名前は誤ってForbesとされた。1862年に訂正されHillendとなった。1871年の新たな金鉱の発見により、1871から1873年にかけて224の採掘会社が設立される。タンバルーラの町を合わせると、地域の人口は1872年におよそ3万人の最大値に達し、50軒の宿屋兼酒場が人々の渇きをいやした。同年にセント・ポール長老派教会、ロイヤル・ホテル、病院(現在は博物館)が建てられ、235,143グラムのホルタマンの金塊が発見された。

 1874年までには金産出高及び人口は減少傾向にあり、町は急速に衰退に向かった。金の生産に続けられたが、生産が長期的に拡大することはなかった。1967年に町全体が史跡となり、ニューサウスウェールズ国立公園局の管理下におかれた。現在は町の経済は史跡の町としての観光に依存している。

 1851年に北方のハーグレイヴズHargravesにおいて、ニューサウスウェールズで最初の大塊金(重量約4万グラム)が見つかっている。

 宮崎章・藤川隆男0403