オーストラリア辞典
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Holtermann, Bernhardt Otto

ホルタマン(ホルターマン)、バーナード・オットー


1838-85
ハンブルグ、ドイツ生まれ。
金鉱夫、写真の後援者、政治家。


 金鉱夫、商人、写真撮影業の出資者であるホルタマンは、ドイツのハンブルグに生まれ、そこで教育を受けた。彼は、一族が経営する会社で働き、1858年にオーストラリアへ移住した。翌年、彼とルイス・ベアーズは、ニューサウスウェールズのヒル・エンド金鉱に移動し、数年間、失敗を繰り返し、職業を転々とした後で、ついに1871年にホーキンス・ヒルで豊かな金鉱脈を発見した。1871年4月にはスター・オヴ・ホープ・ゴールド・カンパニーを起こし、1872年10月には世界最大級の金塊、ホルタマンの金塊(約286キログラム)を発見した。シドニーのセント・レナードに住居を構え、タウンと金鉱地帯の写真の収集のスポンサーとなった。シドニー港や郊外の一連の風景を提供する有名なホルタマン・パノラマは、彼の家の塔から撮られたものである。彼の写真は移民を奨励することに使われ、また、数々の賞を受賞した。彼の写真はアメリカやヨーロッパの各地に展示されている。主要な関心は移民とシティと北岸の連絡橋であり、1882年から死ぬまでニューサウスウェールズ下院の議員を務めた。

 松本圭一0901