オーストラリア辞典
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Industrial Workers of the World (IWW)

世界産業労働者同盟


 1905年にアメリカのシカゴで結成された、革命的労働運動の団体で、無政府主義と階級のない労働団体の創出を目指した。IWWは、存在する全ての政治的機構を否定し、政治やその他の社会的制度を破壊するために、暴力的な手段に訴えた。メンバーたちは、「ウォブリーズ」Wobbliesと呼ばれた。オーストラリアでは、1907年にシドニーに最初の支部が開設され、地方支部もいくつかできた。

 オーストラリアにおけるIWWの出現によって、一連の深刻なストライキが引き起こされた。メンバーのなかには活発な活動を展開する者や社会主義政党に接近する者もいた。彼らは、街角での集会、パンフレット、講演及び討論など、あらゆる種類のプロパガンダを用いたが、特に雑誌『直接行動』Direct Actionは、彼らの機関誌といえるものであった。会員数はあまり増えなかったが、1916年に衰退が顕著になる前のピーク時には、約2,000名が所属していた。第1次大戦中にはストライキを行うとともに、戦争を資本主義者による目的達成の手段と見なしていたため、1916‐17年には徴兵制反対派と共闘するようになった。『直接行動』の編集者であったトム・バーカーは、徴兵制を批判する論陣を張ったために、何度か服役している。1916年の末、シドニーにおいて、指導者たちが政治的煽動と放火の罪で収監されたため、以後行動は下火になった。しかし、1920年に、ユーイング王立委員会The Ewing Royal Commission の調査により、有罪とされた指導者の多くは冤罪であったことが判明した。IWWの反戦的姿勢は、ヒューズ首相の怒りを買い、1916年に非合法化され、オーストラリアにおいては1917年末までには、実質的に消滅した。

 IWWは、暴力を容認する姿勢に加え、一般に受け入れられない性格を有していた。例えば、無政府主義の主張は、強固な政治的派閥を有する他の労働団体とは相容れなかったし、ワン・ビッグ・ユニオン(OBU)の支持は、オーストラリアにおける組合発展の性格に反するものであった。

 浅野敬一00