オーストラリア辞典
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Latrobe

ラトロウブ、ラトローブ


タスマニアの中北部、ホバートの北273キロ、ロンセストンの96キロ北西に位置する。
人口:2,765(1996)、2,401(1981)、711(1881)。


 デヴォンポートDevonportから11キロメートル離れた、マージー川Merseyの河畔に位置する。1846年から1847年にタスマニアの副総督、1839年から1851年にポートフィリップ地区の行政官、1851年から1854年にヴィクトリアの副総督を歴任したラ・トローブにちなんで、1846年に町は命名された。ヨーロッパ人の入植は1826年に、エドワード・カーがヴァンディーメンズランド会社の所領を設置した時に始まった。2代目の経営者キャプテン・トマスは先住民は殺害された。ラトロウブの集落はマージー川の渡河地に成長し、1853年に区画整備がなされた。フォーンビーFormbyへの路面列車が1855年に開通した。ノース・ミッドランズの交易をにらんでマージ・デロレイン鉄道が1871年に敷設されたが、全面開通には至らなかった。

 19世紀後半はラトロウブの黄金時代であった。1870-95年の間、町はタスマニア第3の人口を誇っていた。ルーカス・ホテルLucas Hotelが1870年頃に、フログモアFrogmoreが1880年に設立された。1883年に設立された裁判所は、現在、博物館として使用されている。ロンセストンからデヴォンポートへの鉄道が1885年に敷設され、地元の要望で市街を通過するルートとなった。1891年に材木早伐り競争の「ワールド・チャンピオンシップ」が初めて開催された。ラトロウブ自転車レースが始まった1896年に、自転車クラブが創設された。20世紀になるとデヴォンポートの町と港の重要性が増し、町は衰退した。1970年代の製紙工場の設立によって、町の経済は再び活性化した。またデヴォンポートのベッドタウンとしても重要となっている。

 藤井秀明・藤川隆男0403