オーストラリア辞典
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lawn tennis

ローン・テニス、テニス


 テニスは1870年代に英国人により整備され、1877年に大体現在の形になったが、1878年にオーストラリアにも本格的に導入された。1880年にはシドニー、メルボルンの両都市でテニスクラブが結成されている。1896年の近代オリンピック第1回大会では、フラックFlackが、陸上競技選手であったが、オーストラリア代表としてローン・テニスに出場した。1905年に、オーストラリアはニュージランドと組んで「オーストラレイジア」として、デヴィス・カップに登場した。このチームで1908年に初優勝、以後6回優勝している。1924年にはオーストラリアは初めて単独で参加し、優勝は逃したものの決勝戦まで勝ちあがった。1939年には遂にアメリカを下して優勝を手にした。1946年からオーストラリアの絶頂期が始まる。この年から1968年までの間で、オーストラリアは23回決勝に進出し、15回優勝している。この優勝は1950年から1967年の期間に集中している。現在にいたるまでにさらに5回デヴィス・カップを手にした。

 デヴィス・カップにおける輝ける勝利は、ほとんどの場合アメリカを対戦相手として戦われた。オーストラリアの優勝に貢献したのはウィンブルドンの勝者たちであった。1907年、メルボルン出身のノーマン・ブルックスがオーストラリア人としてはじめて男子シングルスを征した。1952年から1971年までの間に、オーストラリア選手は男子シングルスで14回優勝している。その中にはロッド・レイバー4回、ジョン・ニューカム3回、ルイス・ホード2回、ロイ・エマソン2回、そしてフランシス・セッジマン、アシュレイ・クーパー、ニール・フレイザの各1回が含まれる。女子シングルスでも、マーガレット・コート(旧姓スミス)が、1963年から1970年の期間に3回優勝した。

 USオープン戦ではオーストラリア選手は、1951年から1973年の23年間に男子シングルスで15タイトルを獲得した。しかも1956年から1962年の間は連続してタイトルを獲得した。フランシス・セッジマン、ケン・ローズウォール、ニール・フレイザ、ロイ・エマソン、ロッド・レイヴァ、ジョン・ニューカムらがそれぞれ2回ずつ、マル・アンダーソン、アシュレイ・クーパー、フレッド・ストールらは1回ずつ優勝した。また1962年から1973年にかけて、マーガレット・コート(旧姓スミス)が女子シングルスで5回優勝している。

 オーストラリアのテニスの黄金期は長い間続いたが、世界で最も豊かで強大な大国アメリカの選手を相手にして戦って勝ち取ったという意味で、オーストラリア人にとっては重要な意味があった。テニスの前には、クリケットが、イギリスに対する伝統的ライバル意識をむき出しに、国民的プライドの証として戦われていた時期があった。1968年にウィンブルドンがオープン化されて以降、テニスのプロ化が進行し、オーストラリアの優越は終わりを迎えることになる。

 安井倫子00