オーストラリア辞典
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Maldon

モールドン


ヴィクトリア中央部、メルボルンの北西137キロ、キャッスルメインの北西19キロに位置する。
人口:1,255(1996)、1,009(1981)、723(1933)、3,077(1911)、3,817(1871)、5,220(1854)。


 地名は、イングランドのエセックスにある町から名づけられた。1853年に金が発見されるまでは、アボリジナルの地名であるTarrangawerや、Tallerman's Township、ポーキュパイン・フラットPorcupine Flatの名で知られていた。1840年に入植が始まった。かつてはこの地はウェンバ・ウェンバのアボリジナルの居住地であった。1853年に金が発見され、1854年から1856年には重要な鉱脈が発見された。1854年に地域への人口は2万人に達した。町の場所は1854年に政府によって選ばれたが、住民によって拒絶され、彼らの選んだ土地が測量され、1856年にモールドンと名づけられた。1860年代に金の生産はベンティゴウと肩を並べるほどであったが、70年代になると産金量は低下した。この間、キャリアズ・アームズ・ホテル(1857)、カンガルー・ホテル(1866)、博物館(1858)など多数の建物が建築され、現在も保存されている。郵便局が1869年から1870年にかけて建設されたが、この建物はヘンリー・ハンデル・リチャードソンが1880年から1886年まで、幼児期を過ごした家であった。1883年には人口のおよそ3分の1が腸チフスを患った。鉄道は1884年に開通し、1960年より以降に閉鎖された。

 モールドンは1880年代末から1890年代に、水晶採鉱の中心地として復興した。グランドホテルとモールドン・ホテルはこの時期から営業を始めた。1886年には、40の砕石機が作動し、80の鉱脈が採掘されていた。深い鉱脈の採鉱が終わった1920年代から1930年代に、人口のほとんどは流出し、建物の半数は解体された。オーストラリアで最も保護されるべきゴールドラッシュ期のタウンであるとして、1966年にナショナル・トラストによってヴィクトリアで初めて指定を受けた。1970年代から建物の取り壊しが禁止されたが、1980年代にようやくヴィクトリア州議会の援助で観光地として発展した。

 山口典子・藤川隆男0403