オーストラリア辞典
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Mandurah

マンジュラ


西オーストラリア南西海岸部、パースの南74キロに位置する。
人口:35,945(1996)、23,368(1991)、18,016(1986)、10,978(1981)、5,062(1971)、223(1911)。


 地名は、この地方のアボリジナルのニュンガーの言葉で「交易の場所」という語から派生したといわれる。マンジュラはもとはトマス・ピールの所領の名であった。トマス・ピールThomas Peelは、ピール・インレットPeel Inlet周辺の土地約10万ヘクタールの無償交付を受け、イギリスの封建的なモデルに基づき、町と所領の建設を始めた。しかし、契約労働者が解放を要求し、病気が広まり、彼のパートナーが資本を引き揚げた時、彼の計画は失敗に終わった。移民者とアボリジナルは衝突し、1832年に軍隊の駐屯地が作られた。1835年にホールズ・コテージが建てられ、今では小さな博物館となっている。ピールは、1838年にリヴァプールのタウン建設を提案し、1840年にサーパンタイン川Serpentine Riverに植民地を建設することを決定した。1895年に、マンジュラのタウンが創設された。しかし、マンジュラの小さな集落は20世紀に入ってもほとんど発展せず、1950年代までは小さな漁村にすぎなかった。ピールの土地の大部分は政府に買い取られ、復員兵士の入植計画のために用いられた。1960年頃からリゾート地やクウィナーナの労働者の居住地として注目を集めるようになり、急速に発展した。また近年は、パースの郊外として人口増加が著しく、ピンジャラのアルミニウム精錬工場、クウィナーナの重工業で働く人々のベッド・タウンとして発展している。

 松本圭一・藤川隆男0403