オーストラリア辞典
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McMahon, William (Billy)

ウィリアム、マクマーン


1908-88
シドニー、ニューサウスウェールズ、オーストラリア生まれ。
政治家、第20代オーストラリア首相(1971-72)。


 マクマーンは、1908年2月23日にシドニーに生まれ、経済と法学の両方を学びシドニー大学を卒業し、弁護士となる。第2次世界大戦では、オーストラリア帝国軍AIFに入隊し、後の除隊まで従軍していた。その後の1949年の総選挙で、シドニーから自由党候補として初当選を果たし、以後1982年の引退まで13回の当選を果たしている。

 マクマーンは、メンジーズ、ホルト、ゴートン政権で入閣し、数多くの大臣職を経験した。特に1966年メンジーズの辞任後の、ホルト政権では、財務大臣と自由党副党首の地位につき、その地位を確かなものにする。1967年にホルトが在職中に死亡し、その後の後継者として選ばれるはずであったが、地方党党首マキュアンMcEwenの反対にあい、首相の地位にはつけなかった。1971年にゴートンの辞任を受けて、自由党党首となり、ようやく連邦首相となった。

 しかし、彼の政権は、厳しい政局運営を強いられる。1972年1月26日に設営されたアボリジナルのテント大使館の除去は、マクマーン政権に対する批判を高めた。1972年の選挙で、労働党に敗れ、マクマーンは党首と首相の職から退いた。この選挙により、23年間続いた自由党と地方党の連立政権は終わりを迎えたのである。その後も、1982年の引退まで政治活動を続け、1977年に爵位に叙されている。

 和気清彬0407